「安心を与える技術」と巨大資本

小田: ぼくは、精神医学は人々の安全を保障し、人々に安心を与えるための技術だと思っているんですが、それがそうは簡単に思えなくなった。 (略) 首つりの足を引っぱるような世紀末思想が蔓延した。
三浦: それは今でもあると思いますよ。 精神医学は人間存在の不気味さ、異様さを示すことであってそれ以上でも以下でもない。 もしも精神医学が人々の安全を保障し人々に安心を与えるための技術であるとすれば、それは巨大資本の手先になることでしかない。

監視カメラなどが問題にする「社会的な安全」とは別の、「精神医学的な安全」という視点。
しかし、何が「安全」と理解されるのかは人によって違うはず。
巨大資本というのは製薬会社などか。