2006-11-05から1日間の記事一覧

《日常》 と 《享楽》

新宮一成『ラカンの精神分析 (講談社現代新書)』 p.302 より引用(強調は引用者)。 精神分析は、自己の起源に触れる欲望に導かれて行なわれるものだ。 その欲望は、人が社会的責任を身につけるまで待ってくれるわけではないのである。 そしてその欲望の導き…

《享楽(jouissance)》――欲望の倫理

「モバイル社会における技術と人間」(『Kawakita on the Web』)、斎藤環氏の発言より。 この幻想に対抗できるものがあるとすればラカン的な倫理がある。 ラカンは「罪があると言い得る唯一のこととは、(中略)、自らの欲望に関して譲歩したことである」と…

「制度 institution」

三脇康生氏の論考「精神医療の再政治化のために」に付された注より引用*1。 「フランス語の institution という語の用法は次の二つに大別できる」と教育学者の岡田敬司は言っている。*2 (1) 子供を教育する行為、家族を設定する結婚の行為、ある集まりやある…

新宮一成『ラカンの精神分析 (講談社現代新書)』 p.301-2

強調は引用者。 ラカンは、パリ・フロイト派設立の年のセミネールで、絶えず精神分析経験に立ち返るべきことを強調している。 新しい会員たちに彼が期待したことは、彼の難解な語りを、知的な道具を用いて読み解いてくれることだけではなかった。 彼と彼らと…