「地域共同体を復活させよ」

小田: ぼくが共同体の価値の回復を言いたいのは、たとえばこういうことがあるからです。 (略) NHKの「ふるさとの伝統」を主題としたドキュメンタリー番組。 田舎でいまでもお祭りの習慣が残っているところで、そのお祭りを受け継ぐように大人たちが子どもたちをどうやって仕込んでいくかという生活を追ったものです。 ぼくはこんなにいい社会教育はないと思った。
三浦: ぼくは非常に疑問ですね。 小田さんご自身が共同体の中にうまく溶け込んで教育されていたと思われますか?
小田: うまくいっていませんでした。

笑い話にしか見えない。

小田: ただね、ぼくはお祭りに期待したい。 ぼくはお祭りが好きなんです。 ぼくのふるさとの伝統はお祭りです。
三浦: 育ったところはどこでしたっけ?
小田: 岡山です。 (略)
三浦: 岡山の共同体はとってもよかったですか?
小田: よかったが岡山は町ですからね。 あまり近所づきあいはない。
三浦: そうでしょう(笑)。 近所づきあいがなくて、どうしてぼくのふるさとの伝統はお祭りですなんて言えるんですか。 だいたい知識人に地域的な付き合いなんて無理ですよ。 隣近所のほうが敬遠する。 はっきりいって毛嫌いしますよ。
小田: ぼくは地縁的なものを大事にしていきたいといま思っているんです。
三浦: 懐旧の念で見ているだけですよ。 ご自身の体験と照らし合わせてみると、それが自己欺瞞であることがすぐわかります。 いま小田少年にそれを強制したらアレルギーを起こして、それこそひきこもりになってしまいますよ。 それより、サークルでも何でも、なんらかの有機的な結合をもつ組織をどうやって作るか考えたほうがいい。

中間集団を形成する難しさについては、東浩紀×北田暁大東京から考える』でも触れられていた(p.208-9)*1。 外部から押し付けても無理。 偶然的な集団を維持する「必然性」が見えない。
ここでも三浦氏の言うことにはリアリティがあって、地元住民との親密な関係を強制的に要求されるのでは、その地域を離れたくなってしまうのでは・・・。





*1:東浩紀: 九〇年代後半には、会社や学校のような中間集団がぼろぼろ崩壊し、ナマの個人がいきなり荒々しい資本に直面することでアノミーが生じた。 (略) いまコミュニティの復活というと、ほとんどセキュリティの話ですね。 防犯や防災。 (略) 単純だと思われそうですが、ひとつ考えられるのは、いま流行のコンテンツ系やIT系、つまり知的な職能集団ですね」