公共的ということ
永冨奈津恵さんの追記の最後の一文に、強い感銘を受けました。
彼女とは意見の相違があることは否めませんが、ひきこもり問題に取り組む姿勢――その公的性格――において、あらためて信頼を深めました。
今後は、「何が価値のある活動なのか」をめぐって、意見を戦わせるべきなのだと思います*1。
私が「心的リアリティ」について意見表明をおこなうとしても、それが個人的な価値しか持たないなら、興味がありません。 私はむしろ、私秘性の極みを話題にすることの公共的価値を問題にしています。
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- ひきこもり問題自体が、「公私」の、あるいは「公正さ」についての、するどい緊張を含むテーマだと思います。
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- ある方からは、「ひきこもりは社会問題ではあり得るが、政策課題ではあり得ない」というご意見をいただきました。
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*1:またあらためて、あるいは長期的な課題として。