『資本論 (3) (国民文庫 (25))』 労働と所有の分離

第21章 「単純再生産」 ドイツ語原文:「Einfache Reproduktion

 貨幣を資本に転化させるためには、商品生産と商品流通とが存在するだけでは足りなかった。 まず第一に、一方には価値または貨幣の所持者、他方には価値を創造する実体の所持者が、一方には生産手段と生活手段の所持者、他方にはただ労働力だけの所持者が、互いに買い手と売り手として相対していなければならなかった。 つまり、労働生産物と労働そのものとの分離、客体的な労働条件と主体的な労働力との分離が、資本主義的生産過程の事実的に与えられた基礎であり出発点だったのである。 (p.115)
 Scheidung zwischen dem Arbeitsprodukt und der Arbeit selbst, zwischen den objektiven Arbeitsbedingungen und der subjektiven Arbeitskraft, war also die tatsächlich gegebne Grundlage, der Ausgangspunkt des kapitalistischen Produktionsprozesses.
 ところが、はじめはただ出発点でしかなかったものが、過程の単なる連続、単純生産によって、資本主義的生産の特有な結果として絶えず繰り返し生産されて永久化されるのである。 一方では生産過程は絶えず素材的富を資本に転化させ、資本家のための価値増殖手段と享楽手段とに転化させる。 他方ではこの過程から絶えず労働者が、そこに入ったときと同じ姿で――富の人的源泉ではあるがこの富を自分のために実現するあらゆる手段を失っている姿で――出てくる。 彼がこの労働に入る前に、彼自身の労働は彼自身から疎外され、資本家のものとされ、資本に合体されているのだから、その労働はこの過程の中で絶えず他人の生産物に対象化されるのである。
 ・・・・・・こうして、資本主義的生産過程はそれ自身の進行によって労働力と労働条件との分離を再生産する。 (p.127)
 Der kapitalistische Produktionsprozeß reproduziert also durch seinen eignen Vorgang die Scheidung zwischen Arbeitskraft und Arbeitsbedingungen.



p.138 第22章 「剰余価値の資本への転化」 ドイツ語原文:「Verwandlung von Mehrwert in Kapital

 所有は、今では、資本家の側では他人の不払い労働またはその生産物を取得する権利として現われ、労働者の側では彼自身の生産物を取得することの不可能として現われる。 所有と労働との分離は、外観上両者の同一性から出発した一法則の必然的な帰結になるのである
 Die Scheidung zwischen Eigentum und Arbeit wird zur notwendigen Konsequenz eines Gesetzes, das scheinbar von ihrer Identität ausging.

    • 【この箇所に付された原文注23】: 他人の労働生産物の資本家による所有は、「逆に各労働者による自分の労働の生産物の排他的所有権をその根本原理とした取得の法則の厳密な帰結なのである。」(シェルビュリエ『富か貧か』、パリ、1841年、58ページ。だが、そこではこの弁証法的な反転が正しく説明されてはいない。)
    • 【注23のドイツ語原文】: (23) Das Eigentum des Kapitalisten an dem fremden Arbeitsprodukt "ist strenge Konsequenz des Gesetzes der Aneignung, dessen Fundamentalprinzip umgekehrt der ausschließliche Eigentumstitel jedes Arbeiters am Produkt seiner eignen Arbeit war", (Cherbuliez, "Richesse ou Pauvreté", Paris 1841, p. 58, wo jedoch dieser dialektische Umschlag nicht richtig entwickelt wird.)

排他的所有権の帰結としての、労働と所有の分離。