使用価値としての労働力

マルクス資本論草稿集〈1〉1857-58年の経済学草稿 (1981年)』 pp.314-315

 交換価値は、一つの生産物のうちに物質化されており、そしてこの生産物はそのものとして他人のための使用価値をもち、またそのものとして他人の欲求の対象であった。 ところが労働者が資本に対して提供しなければならない使用価値、したがって彼が一般に他人のために提供しなければならない使用価値は、生産物のうちに物質化されてはおらず、およそ彼の外部に存在するものではなく、したがって現実に存在しているものではなく、ただ可能性としてのみ、彼の能力としてのみ存在しているにすぎない。 それは、資本によって求められ、運動の中に置かれてはじめて現実性となる。 なぜなら対象を持たない活動など、無であるか、またはせいぜいのところ思考活動であって、こんなものはここでは問題にならない。この使用価値は、資本から運動を受け取るようになるや否や、労働者の一定の生産的活動として存在する。 それは、一定の目的に向けられた、それにえにまた一定の形態で発現する労働者の生命力そのものである。