「労働」

あるかたが、僕のこのブログこそが「労働」なのだ、と言ってくれた。
金銭的対価は発生しないが「労働」なのだ、と。
いっぽう、収入にはなるが「労働」ではなく「犠牲」でしかないような労役もある、と。
半分納得してうれしく、半分疑問が残る(社会の多くは「犠牲」で成り立っている)。
多くの人は、「労働」によってではなく「犠牲」によってプライドを保っているのではないか。
だから引きこもりが許せないのではないか。