- みずからの専門性やその手続きについて、再帰的な検証をつねに再生産できること。 その検証において、常にツボを押さえることができること。
- 再帰的自己検証のリアルタイムの実演・共有としての、「臨床性」。 ▼「治す」ことを是とするのみの一方的な、みずからのベタな専門性に同一化するだけの「臨床性」は、むしろここでは専門性の一要素にすぎない。
- 「ひきこもり」という大きな大義があるとして、そこに貢献する手続きやジャンルは、複数ある。 つまり、媒介となる大義(ディシプリン)が複数ある。
- たとえば、医師・運動体・当事者・学者では、思いつめている焦点(大義)が違っている。 その相互が連携するためには、政治的な調整が要る。
- 「専門性」の、専門分化(分業)のスタイルが問題になっている。
- 「労働は美しい」として、では何をすれば仕事をしたことになるのか。 それは誰が判断するのか。
- 美しさを犠牲にして、倫理的なモチーフに没頭することが「労働」であるかもしれない。
- 私的な契約関係のレベルと、公共圏レベルでの認知。 ▼専門性のミッションの枠組みは、「何をすれば仕事をしたことになるのか」の評価軸にあたる。
- 生きられた専門性のメタ的な再検証は、有償労働のフォーマットに乗りにくい公共的な取り組みと言える。 「与えられたタスク」をこなすことには対価が発生するが、再帰的な分析労働は誰にも隷属しないため、なかなか金銭的対価が発生しない。
- 過剰に流動的な情報のフローには、「パターン化された情報処理」と「ノイズ」の両極しかない*1。 再帰性はそこに歯止めをかけ、処理の「対象」と「処理パターン」(および相互の規定関係)を検証しようとするが、既存の処理ルーチンを阻害するし、きわめて「しんどい」。
*1:情報のフローは、それ自体が自律的な意思決定をするように見える。
*2:デュルケム『自殺論 (中公文庫)』では、アノミー型自殺への処方箋として、「同業組合・職業集団」(労働に関する中間集団)が挙げられている(p.485)。 【井出草平氏のご教示】