「専門性」メモ 6 【1】 【2】 【3】 【4】 【5】

  • みずからの専門性やその手続きについて、再帰的な検証をつねに再生産できること。 その検証において、常にツボを押さえることができること。
    • 再帰的自己検証のリアルタイムの実演・共有としての、「臨床性」。 ▼「治す」ことを是とするのみの一方的な、みずからのベタな専門性に同一化するだけの「臨床性」は、むしろここでは専門性の一要素にすぎない。


  • 「ひきこもり」という大きな大義があるとして、そこに貢献する手続きやジャンルは、複数ある。 つまり、媒介となる大義ディシプリン)が複数ある。
    • たとえば、医師・運動体・当事者・学者では、思いつめている焦点(大義)が違っている。 その相互が連携するためには、政治的な調整が要る。
    • 「専門性」の、専門分化(分業)のスタイルが問題になっている。


  • 労働は美しい」として、では何をすれば仕事をしたことになるのか。 それは誰が判断するのか。
    • 美しさを犠牲にして、倫理的なモチーフに没頭することが「労働」であるかもしれない。
    • 私的な契約関係のレベルと、公共圏レベルでの認知。 ▼専門性のミッションの枠組みは、「何をすれば仕事をしたことになるのか」の評価軸にあたる。
    • 生きられた専門性のメタ的な再検証は、有償労働のフォーマットに乗りにくい公共的な取り組みと言える。 「与えられたタスク」をこなすことには対価が発生するが、再帰的な分析労働は誰にも隷属しないため、なかなか金銭的対価が発生しない


  • 過剰に流動的な情報のフローには、「パターン化された情報処理」と「ノイズ」の両極しかない*1再帰性はそこに歯止めをかけ、処理の「対象」と「処理パターン」(および相互の規定関係)を検証しようとするが、既存の処理ルーチンを阻害するし、きわめて「しんどい」。
    • フローだけでも、再帰性だけでもまずい。 ▼「当事者性」は、往々にしてそれ自体がベタなフロー枠と化す(当事者ナルシシズム)。 当事者性は、再帰的自己検証を免除される特権ではない。
    • フローと再帰固執のバランスとスタイルは、そのまま中間集団維持のバランスとスタイルに相当する*2。 ▼ひきこもりに関して言えば、暴走する《再帰性》エンジンへの処遇をめぐって、立場と思想が分かれている。




*1:情報のフローは、それ自体が自律的な意思決定をするように見える。

*2:デュルケム『自殺論 (中公文庫)』では、アノミー型自殺への処方箋として、「同業組合・職業集団」(労働に関する中間集団)が挙げられている(p.485)。 【井出草平氏のご教示】