受け身と必然 (受動的脱落と、能動的選択)

「自分がその仕事に就くことの必然性」という話。

上山:「私は不登校や引きこもりの状態になったのは、望んでなったわけではない*1。 ▼中学で不登校になったときには、本当に恐かった。このまま学校に行けなければホームレスになるしかない、でも自分にホームレスはできそうにないから、『野垂れ死ぬしかないのだ』と本気で考えていた*2。 でも、行けなかった。 ▼私は現在の活動について、『もうやめよう』ということを毎日考えるが、自分がこの問題に取り組むことの必然性も感じている。その辺りの事情を常に考える。継続可能性との関係において。」

身も蓋もないが、「死にたい」という気持ちに囚われて身動きできなくなる時間や日々は、今でも非常に長い(こうした時間には、勉強やBLOG更新はまったくできない)。自発性のエネルギーが、「安楽死」以外をどうしても目指せなくなる時間もある*3



*1:もちろん、貴戸理恵氏の著作などでも問われている通り、微妙な論点ですし、当BLOGでもずっとこの話は続けてきたつもりです。

*2:この思い込みについては、生田武志氏からも問題を指摘されたが、これについてはまた後日。

*3:今回は行政主催のイベントだったし、この話題にはさすがに触れられなかった。