最難関

「戦わないと生き延びられない」として、本人の中に「生き延びたい」気持ちが稀薄*1なのであれば、「生き延びるための課題」(「働く」「戦う」)を無条件に本人に強要するのは、まさに「説教」でしかない。しかし、「生き延びる」という課題が本人の中でしっかり内面化されていて、なのにそのために必要な課題を全部他人任せにするとしたら、それは横暴としか言いようがない。(現実には、無力感に打ちひしがれているわけだが。)
問題はだから、自分の中に、あるいは誰か*2との関係に、「実は存在しているかもしれない」強烈な課題*3、どうしても不可欠で無視してはならない、自分としても絶対的に納得できる≪真に内面化された課題≫に、出会えるかどうか、ではないか。
その課題との関係を維持するために、自分にできることを探す勇気を持てるかどうか。他人任せにする暴力を、我慢できるかどうか。
その我慢において、他者と共有できる課題が生まれ、少しずつ孤立感が薄らぐのではないか。
相変わらず、「これ*4は本当に自分にとって大事な課題なのか」という揺らぎに悩まされつつ。
いや、むしろ大事すぎるからこそ、直面できないのか。



*1:「消えたい」

*2:憎む人、愛する人

*3:以前の私なら「欲望」と言っていたでしょう。今でも言いますが。

*4:「この人を愛すること」「生き延びること」「あいつだけは許さない」