「フェティッシュ」 ←→ 「分析の consistency」*2

3日の夜、神戸三ノ宮で三脇康生氏とお会いし、長時間ご一緒させていただいたのですが、≪自発性≫に関連し、きわめて示唆的なお話をいただきました。
それはいわば、「病気のような自発性」であり、身体性をともなった「強迫的な不可避性」*1があり、押さえ込むとひどく苦しいものです。

  • 【人間関係二態】
    • 出会うことで気を使い、こちらの自発性が抑圧されてしまうタイプの人間関係(相互フェティッシュ的)
    • 議論すればするほど、それぞれの自律的自発性が先鋭化し、頭がクリアになる人間関係

三脇氏との議論で体験したのは、明らかに後者でした。 お互いに宿る強迫的な「consistency」の共鳴・増幅。 消耗させる「相互フェティッシュなベタレベルの人間関係」ではなく、それぞれが取り憑かれた「メタとベタの往復運動」の出会い。 この「≪分析≫同士の出会い」*2においては、まさに≪プロジェクトが自発的にシェア≫されています。


制度論的精神療法」というネーミングにずっと抵抗を感じていたのですが、その核心にこうした姿勢や方法論があるならば、ぜひもう少し考えてみたいです。
今の時点での疑問は、こうした「consistency」が、≪お金の論理≫と、どのように交わるのか、という点です。





*1:「受動的かつ不可避の自発性」という、なんとも奇妙な構造。

*2:三脇氏の表現。 「ふれあい」などとはまったく違うものだと思います。