その概念の流通によって誰が得をするのか

  概念はヒトが支えないと消えてしまう。 製薬会社とAPAは「社会不安障害」概念を強く支持している。 「ひきこもり」概念を支えるヒトは少なく、その力は弱い。



「APA」というのは、American Psychological Association」のことでしょうか*1。 とすれば、「日本特有」の展開を見せているらしい「ひきこもり(hikikomori)(social withdrawal)」が、この語とともに(アメリカ国内では)中心的に論じられないのは、無理もないと思うのですが…。


また、「製薬会社が『社会不安障害』概念を強く支持している」とのことですが、これは「薬が効かない」とされる得体の知れない「ひきこもり」より、薬効と直結しそうな名称を支持したほうが、企業利益に結びつくから、という要因はありませんか?
参照

 アメリカで新保守主義が台頭した80年代には、同時に安価な抗うつ剤が製薬会社によって販売されるようになりました。 アメリカでのプロザックの流行という現象はその一端です。
 これはどういうことかと言えば、(神経症性の)うつに追い込まれた各人は、抗うつ剤で自己管理してください、ということです。 そんでもって製薬会社は大儲け。
 なので、自己責任論によって労働者は疲弊し、今度は製薬会社によって搾取されるという構造があるわけです。 このような構造はすでに日本でも実現しているようです(高岡氏の本*2より)。 引きこもり青少年などが薬漬けになっているという現状もこれに関係しているでしょう。



私はAPAの主義主張は知りませんが、「社会不安障害」「社会恐怖」という概念には、症状を個人レベルの「故障」のように捉え、つまりこの問題への取り組みも「孤立した自分をチューンナップ*3して周囲世界にうまく同調させる」という、ひたすら順応主義的な話に終始してしまわないでしょうか。―― それは言い過ぎかもしれませんが、私には「ひきこもり」という名指しより、探求すべき問題の幅が狭まってしまうように感じられます。(もちろん、臨床現場ではそれゆえの利便性もあるのでしょうが。)


端的な話、私が当BLOGで執拗に思索を重ねた中から出てきた「降りる権利と参加の権利」といった論点*4は、「社会恐怖」といった語使用からは出てきにくいのではないか。 つまり一言でいえば、「疾患」印象の強いネーミングによって、ひきこもり問題がはらんでいる(かもしれない)社会要因や、様々な思索・活動資源が見えなくなるのではないか、ということです。 その資源がなぜ尊重されなければならないかといえば、(単に知的に刺激的だから、などということではなく、)そこにも「臨床的に意義のある議論や活動のヒント」が潜んでいるかもしれないからです。
しつこいように繰り返しますが、そうした資源をあえて無視することによる益もあり得ると思います。 「ひきこもり」「ニート」というと人々の想像力を刺激し、ものすごい大激論になりますが、「社会恐怖」というと、さほどでもない。 しかしこれもさらに言えば、議論が過度に単純化されることによる暴力への心配が残ります。


社会恐怖」を解説するこちらのページには、「薬物療法の目的は、病的な状態を軽減することだ」*5とあり、私が薬効に期待するのもここに尽きます。 しかし、「それが全てではない」という部分で、「ひきこもり」の問題からいろいろな論点を引き出し、有益な努力をさまざまに模索してみたいのですが・・・・。





*1:American Psychiatric Association」(アメリカ精神医学会)のことだったようです。失礼しました。

*2:新しいうつ病論―絶望の中に見える希望』。私は未読。

*3:チューンナップ(tune up)には、「調律する」という意味がありますね。

*4:この論点には、「ひきこもりにとって」という以上の有益性が潜んでいるように思うのですが・・・・。 たとえば、「いったん脱落したら二度と復帰できない社会」を問題にする視点です。

*5:The goal of pharmacotherapy is to reduce morbidity.