就労と性愛

性的コミュニケーションに参加できない人間は、性的コミュニケーションから排除されるだけでなく、「排除されている」という事実そのものによってさらに差別・軽蔑され、二重に排除される。 【もてない人は、単にもてないだけでなく、「もてない」という事実によってさらに差別的に排除される、という二重の排除がある。】
宮台真司氏は、性的コミュニケーションに参加できない男に極端に非寛容だが*1、これは「仕事をしない男はクズだ」という説教と同じでは?


ニートと非婚は同根」という言及はいろんなかたがされているが*2ニートが「働ないのではなく働ない」のだとすれば、もてない人は性的コミュニケーションを「しないのではなくできない」。
就労促進と性愛促進は、本人のやる気が足りない、努力が足りない、根性が足りない、才能がない、など、非難として同型の話になっている。


みんな「働きたくはない」が、「恋愛(エッチ)したくはある」という前提は共有されているように見えて、だから性的コミュニケーションのほうが「やりたいのにできない」に見えるが、必ずしもそうではない。 就労コミュニケーションと同じく、性愛コミュニケーションも、あまりに失敗経験しかないと、そこにはもう苦痛の記憶しかないし、性愛的ニュアンスを匂わされるだけでパニックに陥ったりする。 → 自覚的か無意識的かはともかく、人間関係から性愛要因を注意深く排除することになる。
こうなると、「本当はやりたいけど我慢してる」のか、「もう関わりたくない」と本気で思い始めているのか、微妙になる。


労働に関しても、「働きたくないのは当然」とは言えない。 ひきこもりや不登校の支援現場談で、「働いてお金を得た」という体験(といっても子供のお小遣い程度)に狂喜する当事者の例は繰り返し聞く。 そしてしかし、いくら稼ぎは良くても、あまりに過酷な任務(責任と人間関係)には向かわない。 そこで「根性を出せ」という精神論で、「参加せねばならない」という無根拠なテーゼが一気に正当化される。 「働きたい」の話が、「働かねばならない」になる。
同じ構造が性愛にもあるのではないか。 ちょっとした性的コミュニケーションはひたすら楽しい。 しかしそれが肉体的接触になったり、濃密な恋愛関係になれば、そこには楽しさよりも「責任」というニュアンスが色濃くなるし、性的要因を排除して成り立っていたはずの自我同一性も繰り返し試練に晒される。 「そこまではしたくない」と言い出したとき、突如「ヘタレが!」といった罵倒が飛び出す。 つまり性愛的コミュニケーションに参加するのは、「楽しいから」ではなく、無条件に参加が「人として(男として)」義務づけられている。 参加しない(できない)のは、「差別していい」理由になる。


「参加してもしなくてもいい」というニュートラルな状態が、権利として設定されるべきではないか(「降りる自由と参加の自由」)。 「参加することは義務であり、参加しない(できない)奴はクズだ」という主張は、結果的に参加しなかった(できなかった)人間を、さらに二重に排除していくことになる。 「脱落は許されない」という空気は、脱落者を追い詰めるとともに、参加に成功しつづけている人間にも間断なき強迫=脅迫として機能する。 (性愛はともかく、就労においては、いったん脱落すると再チャレンジのチャンスすらない。 「履歴書の空白」*3、ホームレスなど。)


「結婚したい」「セックスしたい」の話が、いつの間にか「結婚しなければならない」「セックスしなければならない」になっている。 つまり、自発的願望の話が義務にすり替わっている。 その参加義務は、遠いところで「国益」につながっている。 → 「労働」なら、こうした事情はもっと露骨だ。


性愛も就労も、子供の頃は“憧れ”みたいな気持ちがある。 しかし身近で悲惨な愛情関係や労働者を目撃し、あるいは自分もトラブルを重ね、「関わりたくない」になる。 参加欲はそがれ、参加はいつの間にか義務になっている。 性愛も就労も、実際に参加のチャンスから排除されていけば、新規参加のモチベーションはどんどん失われてゆく。
本当に排除されてしまえば、再参加は極端に難しい。 客観的に相手にされなくなる、ということももちろんだが、主観的にも、就労や性愛はもはや「トラウマ源」でしかない。 → 「貴様それでも男かぁ!」といった根拠なき精神論がまた顔を出す。 (「親が甘やかすからいけない」の背後にあるのは、「就労も結婚も、人としての義務なのに」という無条件の価値前提だ。 それは「国益が」の前に、ほとんど信仰のように機能している。 参加しない人間は「異教徒」なのだ。)


自発性を持てないのが本人だけの責任*4ではないとしても、ミクロな合理的説得が自発性を生み出すとは限らない。
自発性を持たなければならないとして、それは誰のためなのか(国のため、社会のため?)。*5







*1:id:sivad さんの指摘

*2:結婚したら負けかなと思ってる」など(「loveless zero」さんへの言及あり)

*3:彼女いない歴○年です」

*4:「責任としての自発性」という奇妙な論理

*5:追記:いったん、以下に「関連する思考草案」を載せたのですが、やはり草案にしかすぎないので消しました。