現場の活写例

先日、「ひきこもりの支援はとてつもない激務だ」と書いたところ、essa さんが反応してくださった。ここでお書きになっている論点についてはぜひあらためて考えてみたいのだが(本当に)、細かい議論に入る前に、今日はひとまず「現場の状況」を少しだけ活写していると思われる文章を引用してみる。


草下シンヤ裏のハローワーク』という本がある。村上龍の『13歳のハローワーク』の裏世界版、とでもいおうか。13歳を相手には絶対紹介できないが、「でも世の中にはこういう裏稼業もあるんだよ」というような。
そこに「鍵師」といって、開けられなくなった鍵を開ける「鍵の専門家」が登場するのだが、暴力団や犯罪絡みの「わけあり」依頼を多く受ける新宿の山岡氏(仮名・38歳)のところに、「ひきこもっている息子の部屋のドアを開けてほしい」という依頼があった。
以下、その時の模様を長々と引用するが*1、これは「支援を引き受けた」状況ではなく、ただ「鍵を開けてほしい」と言われた人の証言。しかし現場の雰囲気をよく伝えていると思う。*2



 「家庭の事情に関わるような依頼はなるべく断わるようにしているんです。でも、このときは断わりきれずに受けてしまったんですね。
 その少年は5年ほど部屋からほとんど出てきていないというんです。夜、親が寝静まってから外出はしているらしくて、鍵を買ってきて、それを何錠もつけてドアを開けられないようにしているんですね。すでに20歳になっていましたから、親もこのままじゃいけないと思い、面と向かい合って話をするために鍵を開けてほしいと依頼してきたんです。


 このドアは開けているときから、恐ろしかったですね。鍵は4錠ほどついていましたけど、開けるのはそれほど難しくありません。でも部屋の中から開けたら殺すぞという息子の声が聞こえてくるんですよ。私のうしろには両親がいて、話をしようと呼びかけているんですけど、息子は、開けたら殺すって繰り返すばかり。追い詰められた人間はなにをするか分かりませんから、最後の鍵を開けるときなんて寿命が縮まる思いがしましたよ」
 鍵を開けると、山岡氏は廊下の方に引っ込んだ。あとは両親と息子の問題である。しかしここで帰るわけにはいかない。


 ドアノブをひねると、部屋の中は急に静かになった。両親は戸惑った様子だったが、入るぞと声をかけた。中から返答はない。おそるおそるドアを開けると、中から激しい奇声が上がった。
 「人間の声じゃないと思いましたよ。なんと言っていたのかわからない。猿がぎゃーと叫んだような感じですかね。母親はそれを聞いて固まってしまったんですが、父親は部屋の中に突撃していった。決死の形相でしたね。
 部屋の中では大乱闘ですよ。私もただ見ているわけにはいかなくて、母親を避難させたあと、部屋に入りましたけど、すっぱい匂いが漂っていて、とても人間が住めるような部屋じゃなかったですね。ゴミも散らかっているし、蛍光灯も小さなオレンジ色の光しかついていないし。


 息子と父親はつかみあっていたんですけど、お互いに正常な様子じゃなかったですね。目が血走っていて、憎しみあっている感じだった。止めに入るのも躊躇しましたけど、ま、割って入りました。そしたら息子に顔やら首筋なんかを引っかかれて血が出たし、私だけじゃ、引き離すことができない。どうしようかと思っていたら、母親が近所の人たちを連れてきて、それでなんとか収まりました。
 最終的に、近所の人たちも息子の部屋の中に入って、全員が見守る中で、家族会議をしていましたね。息子は放心状態になっていて、話を聞いているのかいないのか分かりませんでした。父親も息子に更正してほしいというより、憎んでいる様子でしたから、全然、話はまとまらなかったですね。それ以上、いても意味がなかったので、あとはお任せしますと言って帰りましたけど、きっとあの家族はうまくいっていないでしょうね」*3



ひきこもりの世界では極めて日常的に見られる状況だが*4、業界外の人にとっては、「異常」に見えるだろうか。
この状況に「支援を引き受けます」と言って関わることを、リアルに想像していただきたいのだが…。
どんな活動が、そしてどんな論点が、必要だろうか?





*1:著作権法上問題があれば、すぐ削除します

*2:段落分けは原文に従ったが、読みやすさのため、勝手に「1行あけ」を挿入させていただいた。

*3:p.63-5

*4:皆が皆このような状況にいるわけではないが、決して「珍しい」状況ではない。あの独特の緊張感…。