長田百合子という女性の粗暴な「支援」が一部で支持を得たようだが、暴力的な態度を支持してしまう人たちの背景には、「絶望と疲弊」があるように思う。僕は長田氏を支持しないが、「当事者には暴力を振るうしかない」という思想が(特にご両親たちから)一定の支持を得てしまう事実は、無視できない。


以下は、ある友人から間接的に聞いた話。

 仲間内で「最もやさしくておとなしかった」友人が、「現在の精神科医療は病者を不当に扱っている」との怒りと、改革の野心を持って精神科の医師になったが、ある精神病院に勤務して数年後、「同僚内で最も暴力的な医師」になっていた。

このエピソードを、精神科の業界内におられる方々がどのように聞かれるかは分からないのだが、この話は聞いていて本当にゾッとした。
一般の人が「ひきこもりをスパルタ式で矯正しろ」とか言ってるのは、「お前らのことをそれ以上考えるつもりはない」ということだろうが、家族や良心的なスタッフが「暴力しかない」と思い込むときには、家族やスタッフ自身が、相当追い詰められてるんだと思う。


当事者(経験者)は、自分が追い詰められている事実については語るが、自分の存在が家族やスタッフを追い詰めている(かもしれない)事実については、あまり語らない。社会的な無能力者としては当事者のほうがはるかに弱者だと思うが、家族の多くはまさに「生き死に」のレベルで追い詰められているし*1、スタッフも――良心的で思いつめるタイプの人ほど――すぐに耐えられなくなるらしい。
もちろん、「だから当事者は何とかしろ」と言ってもなんにもならない。ただ、ここにも発生しているなんとも痛ましい傷つけあいの構図というか、そういうものを問題化したかった。



*1:母親が自殺してしまった事例を2例、間接的に聞いた