おびえ

今回の僕の「安楽死」エントリーについて、「社会的役立たずとして抹殺されるのではないか」というおびえの声があがったことは、注記すべきだと思います。 立岩真也氏によれば、「どの国でも障害者の組織は安楽死に反対してきた」*1。 ひきこもりは、他の社会的マイノリティ(弱者)と同じく、つねに「お前たちさえいなければ社会はもっとうまくいくのに」というプレッシャーを感じているのだ。 その状況で口にされる「安楽死」は、まかり間違えば容易に「虐殺」にすり替わる(そこでは当然、「健康」をスローガンにしたナチズムを想起すべきだろう)。


ただ(これも論点の繰り返しになりますが)、「ひきこもりを問題にしない(放置する)」は、この社会の「優勝劣敗」「弱肉強食」に同意することでしかなく、それは(直接の手を下さずとも)、ひきこもり当事者が社会的に抹殺されていくプロセスを放置することだと思います。 「ひきこもりなんて、(残虐に)死んでも仕方がない」。
そう考えれば、やはり現状よりは「自発的安楽死」のほうが慈悲的ではないでしょうか。 少なくとも、「苦痛緩和」の目論見が含まれているのですから。





*1:『弱くある自由へ』ISBN:4791758528 p.61