「人間の苦痛緩和」

繰り返しがあったり、いただいたコメントを取りこぼしていたりして穴だらけですが、ひとまずこんな感じでしょうか…。


僕は(立場上)話を「ひきこもり」に限定しましたが、

  • 「苦痛緩和の選択肢としての安楽死尊厳死)」は、「経済的困窮」や「精神的苦痛」に対しても適応可能なのか
  • 安楽死を希望します」の模擬ミーティングには、様々な可能性が秘められていないか

という点は、もう少し一般的に議論されてもいいのではないでしょうか。


安楽死について考えるうちに、やはり「人間の苦痛緩和」の複雑さ・悩ましさを痛感します。 「何をどうすれば楽になるか」が、とても難しい。


生きることそのものがあまりに苦しく、「あえて生きていく」ことをどうしても動機づけられないときには、「楽に死ねるかもしれない」のみが無上の甘い蜜に見え、(なんとも皮肉なことに)それが行動を動機づけたりする。――そういう点も、無視したくはありません。