「孤立した人間にとっての政治」

戦時総動員みたいな話になったら、いちばん激しく糾弾されるのはヒキコモリじゃないだろうか。
「降りることを許さない」という同調圧力は右にも左にも存在する。
「お金さえあれば好きに生きていい」という平和時でさえ「ヒキコモリは許さん」と言われるのだから、いざとなったらどんなことになるか。
さらに、引きこもっている人は法律的・政治的言説にからきし弱い。閉じこもっている人間の言葉のダメさ加減は致命的だ。自己弁護さえできない。


僕が震災時に経験したように、引きこもっている人が非常事態下に活動的になる可能性もある。当事者の多くは、平時の日常において「正義感ゆえの挫折と排除」に苦しんでいることが多い*1。非常事態下には、日常生活にはあり得ないような正義感の活躍の場がある。
逆に、日常生活的な「責任」を引き受けるのは苦手な人が多い。応答責任に過剰に強迫的な反応を示す。


引きこもっている人間は、何も仕事を引き受けていなくても――というよりそれゆえに――、慢性的に「非常事態」を生きている。「on/off」がない*2。やっとの思いで外界に語りかけるときには、あまりにも無邪気で呑気に見えたりするのだが。


当事者は社会的・経済的に挫折しており、「連帯」などはできない人たちばかり。孤立した人間として「極端な政治的弱者」なのだが、政治的コミットの能力もない。
「政治的に振る舞わなければ生きられない」というのは不幸だし、それ自体が「降りるなゲーム」の強制でさえある。しかし、黙って放置していたら死ぬしかないのではないか。
「働くことができない」というのは、それ自体ですでに政治的弱者の問題ではないか。


「孤立した人間にとっての政治」ということを、真剣に考えるべきではないか。





*1:世間知らずで、正義感ゆえに傷つく――「ナイーヴ naive」が罵倒語であることを思い出す。

*2:このあたりはPTSDと似た事情かもしれない。ただし、「引きこもっている人の全てがPTSD」と主張しているわけではない。