「降りずにはいられない」人として

昨日のコメント欄に、id:Ririka さんが大事な指摘をくださってる。

 「価値観(内面生活)においては過剰なまでに『制度内的』・『適応的』である」のに、どうして欲望が希薄・困難なんだろう?

強迫的な適応努力が、すべてのエネルギーを吸い尽くすんじゃないだろうか。あるいは欲望のためには、ある程度のイレギュラーな要因が必要なんじゃないか。

 北田本のギュゲスは、「不正を行なう」ことに関心があるのではなく、「自己利益を充足したいという欲求・動機づけ」をもたない、「フリーライドという形ですら制度にコミットしようとはしない」、懐疑論者、として描かれています。

北田本でギュゲスがどう描かれているか、はもちろん本を参照しなければどうしようもないが(僕は本を入手していない)、ここで id:Ririka さんが説明してくださっている問題設定自体は「ひきこもり」に深く関係すると思う。
僕としては、具体的にコミットを動機づけること、あるいはその能力(capability*1)を具体的に生み出すことに興味がある。環境と個人の両方に注目しながら、何をどう変えなければならないのか。何を、生み出さなければならないのか。


内的な動機と外的なシチュエーションとが幸福な結婚をなしたとき、そこに必然性が生まれる。「ねばならない」に悦びが宿る。


「参加せねばならない」というテーゼがまずありき、なのではない。動機づけに失敗すれば、どんなコミットも苦役になる。「コミットせよ」は強制になる。正当化できない。
というところで、≪動機づける≫が最も重要なテーマとして浮かび上がってくる。他人を動機づけることのできない苛立ちが説教や暴力になり、自分を動機づけることのできない幻滅が自壊をうむ。


今のあなたにとって、自分を動機づけるキーワードは何だろう。
僕の場合いまは 「つきあう」*2「かえる」*3など。
うーん。動詞だな。名詞がくる人はアディクション系なのかな。「かわいい」とかの形容詞もありか。「ゆっくり」(副詞)だとスローライフとか。
要するに僕は動詞系の人間だということか。


話がずれてしまったが、大事な問題提起ありがとう>id:Ririka さん。




人を動機づけることができる、というのは偉大な能力だ。
たとえば、一つの魅力的な学問的成果が、その学問ジャンルに多くの人を巻き込んだりするわけだよね。
うーん・・・・。「等身大の動機づけ」というのが難しいのかもしれない。「タイムマシンを作る」というのは魅力的な企てだが、ちっとも等身大じゃない。できもしないことで動機づけても空しい。かといって、「できること」の枠内には魅力的なことがない。
そもそも「生きること」が魅力的なことではなく、残された時間のすべては苦痛一色にしか思えない。つまり動機づけを失っているので、「生きること」へのコミットが苦役にしかならない・・・・というような*4


とにかく、自分にとって切実だと思うことについてたくさん言葉を交わしてみること。その作業の中から生まれてくるものがたくさんあると思うのですが。
「goal」(最終目的地)と「aim」(プロセス自体が自己目的)のちがい。たぶん両方要る。
「goal」も「aim」も、たぶん一人で考えていては明確にならない。


コミットしない、あるいはできない人間として、どんなふうに生きていけるのか、あるいはできないのか。
できるためには、どんな条件が必要なのか。




今日あつかったテーマ、これからも考えます。





*1:アマルティア・センの本はまだ読んでいません。ここではふつうの英単語として使っています。

*2:気に入った知人とのつきあいが続いてゆくこと。つきあいたいなぁ、と思える相手に出会えるよろこび。

*3:「変える」と「帰る」。「買える」もすこし。

*4:このあたりの話に『波状言論』第3・4号の宮台鼎談が触れていて、とても興味深い。バックナンバー入手可能のようです。