≪情報生産≫

 夜、僕の今後について弟と話す。この対話までに決着をつけねば、ということでここしばらく自己説得の試みを続けてきたのだった。(これまでの日記もそうですが、以下の記述はかなり僕の個人的なものです。皆さんにとって意味あるかどうか・・・)

  • ≪情報生産≫に携わらないなら、他の仕事は僕にとってはすべて同じだ。
    • ひきこもりを巡って―― ①具体的に仕事を作る ②政治的啓蒙 ③興味深い成果
    • ジャーナリズムと理論 → その合一としての「作家」
    • 文武両道・知行合一
    • 「情報処理」関連業務に向けての勉強(情報の環境としての技術・制度)
    • 自分と他者にとっての「必要な情報」について常に考えていること。
  • 情報生産というとふつう大学だけど、それがベストな環境だろうか。
    • 情報の生産は「商売」とともに「教育」にも関わらねばならない。
    • 「編集者」という立場も、情報生産にとってとても重大なポジションだ。
    • 「作品創造(=作家の仕事)」も僕は「情報生産」と考えたんだけど。


  • 自殺回避のための説得は、心理的なものだけではどうしようもないと思う。
    • 自殺原因で一番多いのは病苦だったはず。 → 治療法の具体的解決
    • 昨今の中高年の自殺増加では金銭的理由が大きい。 → 「社会の医学」としての経済学や社会学への期待(果たしてどんな処方箋を提示できるのか? フランスでは自殺対策政策の結果、自殺が激減した、という情報をある知人から聞いたのだが、本当だろうか? 本当だとしたら、どうやったのだろう?)
    • 希望を具体的に生み出すのは、個人レベルの心理的説得(それを支える価値観の環境作り)とともに、社会制度や具体的技術だということだ・・・。
    • 「自殺による社会の経済的損失は○兆円」などという発表は個人の自殺回避には何の役にも立たないが、対策のために人々の腰を上げるには意味があると思う。
  • 「自殺は悪いことか」――この問いは「ひきこもりは悪いことか」と重なる点が多くないか。
    • 個人の自由を徹底させるなら自殺しても構わないはずだ。周囲には迷惑をかけるけれど・・・。
    • 引きこもっている男性が母親から「殺せないから自殺してくれ」と泣きつかれたという(@2ちゃんねる。真偽は確認のしようがない)。自殺が家族にダメージを与えることもあるが、自殺が家族に望まれているケースだってあると思う。
    • 「自ら望んで/受動的悲劇」の線引きの難しさ。
    • 自殺は本人にとって「解決」だが、ひきこもりはそうではない。(ひきこもり=社会的自殺?)
    • 残された時間に希望がもてず、苦痛ばかりを強く実感するのなら、自殺という選択肢は最も効果的なものとなる。


  • 自殺・餓死の道を選ぶか、生き延びるなら情報生産を目指す。
    • 残された時間に期待できることはごくわずかしかないという前提。
    • 情報創造者としては、企業経営者のマネジメント戦略が役に立つのかもしれない。限られた才能と資金をどう割り振って最大成果を挙げるか。見込みのないところにエネルギーを割いてはいけない、しかし冒険せねば得るものは少ない、など。
    • 誰にとってどのように役立つ情報なのだろう。
    • ドライに評価される機会にどのように身を晒すか。 → 「納得できる評価基準」の重要さ。