苦痛軽減と情報生産、ふたたび(いやみたび?)

こうした「文化的」な話、あるいは「隠喩」をめぐる話は、現実に「ひきこもり」という状態像で苦しんでいる当事者(経験者)の苦痛軽減に、役立つだろうか ―― そういう臨床的=批評的意識は、つねに維持していたい。 というか、そういうギリギリの問いを伴わない知的ゲームに興じる余裕は、すでに僕にはない。
本当に苦痛軽減に役立つなら、僕は「知的な情報生産」を本気で目指すべきなのだが、果たして…。 正直いまのところ、まだ明確な絵を描けずにいる。 苦痛軽減のためには、どんな情報を生産すれば良いのだろう?
ニートと、ひきこもり…。