当ブログは、「最悪の場合ひきこもり状態に帰結する苦しみ」、「その苦しみおよび状態像への社会的処遇」、あるいはこの「ひきこもり」というテーマから、「どのような課題を析出できるか」をめぐる考察、などを主なテーマにしています。

  • たとえば「PTSD」は、「(詐病や思い込みではない)特有の諸症状の認定」 → 「症候群としてカテゴライズされ、命名される」といういきさつをもつ名です。一方「ひきこもり」は、抱えている個々の症状はどうでもよく、結果する「状態像」への命名なので、今の私が現役(?)当時と同じタイプの苦しみ(症状)を抱えているとしても、少しでも社会生活があるのなら、それは「当事者」ではなく、「経験者」にあたる。
    • 自分を引きこもり状態に導いた苦しみ(症状)の一部は今でも続いていますが*1命名時の定義*2を厳密に考えれば、いまの私は「ひきこもり状態」にはありません。【「ひきこもり」には、「その状態」と、「それを行なっている人」の、2つの意味がありますね。】
    • 支援活動や行政が動くためにも定義は重要ですが、もちろんグレーゾーンはあるし*3、ややこしいですね。「ニート」という単語の流行以後は、むしろ「より深刻で限界的な状態像」を名指すために、この「ひきこもり」という言葉の重要性がかえって増しているようにすら感じます。


  • 当ブログは、「ひきこもり」状態経験者の1人たる上山和樹によって運営されています。
    • 拙著 
      「ひきこもり」だった僕から

      「ひきこもり」だった僕から

       の続きと申しましょうか。(しつこいようですが、現時点での私は「ひきこもり状態」にはありません。)
    • 作品的な文章やイベント・レポートをアップする日もありますが、基本的には進行中の思考プロセスのメモと、雑談とで成り立っています。


  • このブログが発足した当時にはまだなかった「ニート」という言葉が流通して以降、ひきこもりも≪労働≫との関係で語られることが増えてきました。 【参照:引きこもりは結局は労働問題だ
    • 玄田有史氏によれば、ニート「働ないのではなく、働ない」。 → ひきこもりやニートという状態が、「積極的選択」によるものなのか、「受動的排除」によるものなのかは、きわめて重要な論点だと思います。*4
      • 「積極的選択」とだけしてしまうと、「自己責任論」に回収されかねない。


  • たとえば次のような重要論点があります。
    • ひきこもりやニート高齢化によって、何が起こってくるのか。 (サイト上部のボックスから、「高齢化」で検索してみてください)
    • 支援活動において、≪強制=矯正≫という要因をどう考えるか。(こちらをどうぞ。)






*1:それが死ぬまで続くものなのか、それとも一時的なものなのか、が気になります

*2:参照:【厚生労働省による「ひきこもり」概念の説明

*3:「自称ひきこもり」などをご参照ください。

*4:このあたりについては、ぜひ「降りる自由」、「乗れない不自由」をご参照ください。