15日のデビューネットについてレポート

「読んでくださる方々へ」にてお誘いしている「デビューネット」ですが、5月15日の分について簡単に報告してみます。
参加者は10名で、当ブログ経由で初参加いただいた方が2名でした。参加者全員が発言するには、これぐらいの人数が限界でしょうか(というわけで、そろそろ募集を締め切らせていただくかもしれません)。


これまでは参加者の自由発言に任せていたのですが、どうしても発言者が偏ったり、一部の人間に発言負担がかかったり、という問題があったので、参加者の方々からの提案により、前回から新しい方式を取り入れました。
開始時に全員に大き目の付箋を配り、自分の語りたいテーマについて書いてもらいます。それをノートに貼り付けるのですが、その際「どうしても話したい!」と思うかたほどページの上のほうに貼ってもらう。(このノートを付箋ごと保存すれば、毎回の議事録にもなります)
「一人15分」(上限)の枠内で、「話題振り〜議論」をこなす。キッチンタイマーで時間を計っておいて、「ピピピピ」と鳴ったらどんなに盛り上がっていても次の話題へ。
いやあ、この方式、良いです。とくに「非人称的に仕切られる」感じが。3時間があっという間でした。


では、以下、提供された話題順に簡単に報告してゆきます。



経験者 ① さん: 「仕事を継続してゆくにはどうしたらよいか、アドバイスが欲しい」

前回 ① さんが提供された話題は「親が倒れたらどうしよう」ということだったそうで、今回も「労働」に関することです。「続けて働く」ことの難しさ。
僕は雑誌『諸君!』6月号の斎藤環さんの対談を取り上げ、将来性のないフリーター稼業、「キャリアも技術も蓄積できない」働き方は年齢とともにジリ貧、といった話。「働くつらさと死を天秤にかける」みたいな話もしました。
ある方からは「契約社員の形で働く人は、本人に続ける気持ちがあっても切られる」という指摘。


① さんに限らず、今回は労働や経済の話を持ち出した方が多かったようです。
「完全に閉じこもっていて外界との接触がまったくできない」みたいな人の問題と、「それなりに外界接触や対人関係もあるが、就労ができない」人の問題は、分けて考えるべきだと思います。いわば「当事者」と「経験者」の違いというか( → 田中俊英さんの『kid』でなされた田中俊英×金城隆一×永冨奈津恵の鼎談参照)。【★ひきこもりについて、「当事者」「経験者」、さらには「共感者」というふうにカテゴリを分割すべきということか。】
完全閉じこもり状態の人にいきなり労働の話というのは非現実的なのですが、ちょっとでも外界と接点が出てくれば、そこからは結局は「どうやって働けるか」という問題になる。するとそれはもう、個人レベルの心理の話だけをしていても埒があかない。――そういうことだと思うんですが。
何度か触れたことですが、これまでは引きこもりについてシンポジウムなどをすると、パネラーの「専門家」は精神科医とカウンセラーばかりだった。つまり「個人レベルでどうするか」という話ばかりだった。しかし引きこもりというのは社会現象でもあるし、「働く」という観点で考えればもっとマクロなレベルも論じる必要があると思うのですが、いかがでしょう。



当事者的経験者*1 ② さん: 「親からの圧力よりも、兄弟からの圧力のほうがキツイ」

(付箋にあった「右傾化」の話も個人的に興味あります。ひきこもりを悪く言うのは保守系ですし。イラク人質問題で「自己責任」「国のために自重しろ」と言っていた人は、「ひきこもりを自衛隊に放り込んで治せ」と言っている人とかなりの確率で重なっているのでは、と危惧します。)


僕は、「ひきこもりの人は『政治的弱者』なわけだが、家族内においても最も弱い立場にたたされる」という話をしたのですが・・・。


ある当事者の母親は、長田百合子(「ひきこもりを2時間で治す」という豪語で有名な名古屋の女性)の本を読んで、急にものすごく暴力的になったそうです。ひきこもりへの対応には、つねにこういう危うさがある。
「今後はヒキコモリよりも、社会的不適応の子供への虐待が問題になるのではないか」という発言をどこかで読んだのですが、長田百合子みたいな考え方をする人はこれから増えてくるのかもしれません。



経験者 ③ さん: 「薬との付き合い方」

大学で薬学を勉強されているそうで、専門的な立場から「薬」について語ってくださいました。
薬、なかでも精神科のお薬に対しては、抵抗の強い人も多いようです。
クスリで対処すべき部分は薬を使って、しかし文化的・社会的な対処も続けてゆく、という「バランス」が大事だ、ということでひとまず決着したように思うのですが。
アディクション(依存症)や副作用がない薬ならばいくら使ってもいいじゃないか、というのはなるほどです。(しかし「副作用のない薬」ってあるんでしょうか?)


(ちょっと話は違いますが)破滅をもたらすアディクションはまずいですが、社会や労働に接続してくれるようなアディクション(オタクみたいな)ならば歓迎できる、というかむしろそういう没頭対象を探している、とも言えるかも。



支援者 ④ さん: 「 ぁ ゃ ι ぃ 民間団体」

「あるひきこもり支援団体に〜十万円を払ったのに、1回の訪問と数度の面接だけだった」という被害報告があったそうです(しかも相手は有名な団体)。
堂々と公開広告を打っていながら、内実は詐欺まがい(というか本物の詐欺)、という団体がまだまだ多い。「未成熟な業界だ」というご指摘。ごもっとも。
「ジャーナリストや研究者の方々に告発していただきたい」。僕も当事者(経験者)の立場からできることがありそうです。


「当事者も親も追い詰められて、冷静な判断ができない状態にある」。そういう状態で弱味に付け込まれたら高額でも承諾してしまう、と。
ひきこもりというのはそのまま放っておけば「人生を捨てる」ことになるわけですから、「それに比べたら〜十万円なんて安いものだろう。人生を〜十万円で買わないか」と営業トークされれば、コロッといく人も多いはず。


契約時に、「△△を実現したら○○円払う」というように明記すべきではないでしょうか。「実現しなかったり違反したりすれば**円返還」とか。
いろんな意味で、情報をオープンにしていく必要がありそうです。



社会学専攻の大学生 ⑤ さん: 「ひきこもりの人が惹きつけられるものは?」

当ブログでも何度か話題になった、「欲望」の話です。「物を介してのコミュニケーション」さえ難しくなっている、欲望が枯れている、といったこと。斎藤環さんは「ひきこもりはオタクになればいい」とか言うわけですが、難しいですね。
「欲望がない」は最近の若者全般の傾向だそうです。引きこもりが時代を先取りしている、みたいな面もあるのかも。(しかし、大学生はいまだにアルバイトに精を出したりもしているので、全般的傾向ではない?)


僕は「現実界想像界だけで象徴界が機能していない」という東浩紀さんの指摘*1を紹介してみました。


・・・・実は当事者が秘めているのではないかと思われる「性愛的欲望」話が盛り上がりかけたのですが、時間切れ。



*1:先日少しだけ触れました

社会学専攻の大学院生 ⑥ さん: 「ベーシック・インカム」

ベーシック・インカムというのは、「一定額の給付を成人全員に無条件に与えて、『働く』のはそれ以上の豊かさの欲しい人だけが頑張ればいい、という社会制度」です。
生活保護など、「審査 → 受給」という仕組みだと、「誰が受け取れて誰がもらえないのか」「スティグマ化」というクリティカルな問題が発生しますが、「全員が無条件に同額もらえる」ということなら大丈夫。
「働かざる者食うべからず」に対して、「食わざる者働くべからず」*1という視点、など。


社会保障というのは、そもそも「資本主義だけではまずいだろう」という政治的判断から来ているもので(19世紀には社会保障はなかった)、だから最初からマルクス主義社会民主主義?)的な文脈を持つものです。つまりその分、いつもキナ臭い論争にまみれている。
ベーシック・インカム」そのものには財政的・政治的な実現可能性も含めいろいろ問題はありますが、少なくともこのアイデアに直面していろいろ考えることが、引きこもりをめぐるキナ臭いテーマを考えるにあたってちょうどよい叩き台になるのではないか、と僕は思うのですが、いかがでしょうか。


カウンセリングなどの直接支援は絶対必要なのですが、政策論的な話をするのも、立派な「支援」ではないでしょうか。(僕自身は後者にシフトしています)



*1:この言葉、どこで読んだのか失念してしまいました。ご存知の方おられませんか?

私(上山): 「言語訓練」

ひきこもり当事者の苦痛への対処として、このテーマを持ち出しました。当事者は政治的弱者ですが、自分の置かれた状態を改善したり、交渉能力を発揮したり、といったことが極端にヘタ。そこに必要なのは「言語訓練」ではないのか、というわけです。


法律へのリテラシーを上げたり、一般の人々との情報格差を解消するというのも、広い意味での「言語訓練」だし、当事者の多くが抱えている「怒り」の感情を言葉にし、その怒りに取り組んでいくのも、「言語」の作業だと思うのです。
労働訓練や対人関係のスキル・アップも、広い意味での「言語能力」の問題だと思うのですが。


最近気になっているのは、ひきこもり当事者の「トチ狂った」発言です。ひきこもり批判派から「それみたことか」と言われかねないような、つまりたやすく政治的に利用されてしまうような発言を、かなり無造作にしてしまう人を、しょっちゅう見る。
けっこう真剣に考えています。



支援者 ⑦ さん: 「就労意欲をどう引き出せるか」

身近に生活保護を受けている当事者がいるが、生活保護を受け初めて以後、まったく働こうとしない。どうしたら「働こう」という気にさせられるか、と。


正当な生活保護が受けられず餓死してしまう人がいる一方で、元気な人の不正受給がある。「審査 → 受給」という仕組みだとどうしても不公平感が出てしまって、「お前は元気だから働け」となる(2ちゃんねるには、不正受給を告発する医師たちのスレッドがある@病院・医者板)。しかし、倫理的な意味においては「働かせる」必要はあるのか?という疑問など。
働いていない人間に対する社会の非寛容さはすさまじいですが、この圧力はやはり正当なものとして受け止めるべきなんでしょうか、それともそうではないのか。


ひきこもり当事者は数十万〜100万人もいるし、家族も入れればもっと膨大になる。なのに、政治的な勢力にまったくならない(引きこもりというのは政治的に連帯できない、その無力さが根本性格)。なんとかならないか、など。



ひきこもりと、アカデミズムの問題設定

帰路、三ノ宮のジュンク堂ダイエー店に立ち寄る。社会学政治学・法律・経済学・政策論・といった、僕がまったく馴染んでこなかったジャンルの本を眺めながら、僕がひきこもりに関連して考えていることが、少なくとも問題設定としては既存のアカデミズムに存在しているようだ、という手応えを得る。
と同時に、「ヴィヴィッドな言葉で問題を描き出し、それを社会的に提示する」ことの重要さにも思いを馳せた。才能とチャンスに恵まれた人間が「言葉で仕事をする」というのは大事なことなのではないか。
ところで、「情報の生産」を担う社会的な機関は大学であり、個人としては作家やジャーナリストがいる。「取材と勉強」はものすごく大変だ、という身震い。


思索・勉強・ミーティング・取材。どうも、今まで考えてきたのとは違った風景が見えはじめていて、戸惑っている。







5月13日のコメント欄のやり取りより

# withdrawal 『所得税を取りすぎると、多くの金持ちが海外逃亡する可能性は聞いたことがあります。貧乏移民の流入についてですが、私は日本が移民制度を導入するのなんて反対です!国内には就職したくてもできない失業者がたくさんいるんですよ(もちろんひきこもりの人も含め)。助けが必要な弱者を差し置いて、海外にはお金をポンポンだす政府の姿勢に腹が立ちます。イラク復興に拠出したお金って相当の額でしたよね、そのお金とほぼ同額の、生活保護にあてられる予定の国からの税金が地方団体に交付されるはずだったのに、国家予算から削減されてしまいました。』

# ueyamakzk 『withdrawal さん、うーん・・・・。それじゃ、「お前らは自分の選択で引きこもったんだから、自己責任だ。国に守ってもらおうなんて言うな。そもそもお前らは働いて税金を払って国のために尽くそうとも考えていないだろう」と見捨てられたらどうしますか?(実際によく聞かれる言い分です) ◆ 地理的に「内/外」を分けると「国内には入れさせない」という話になりますけど、国内の階層によって「内/外」を分けると、「稼げる自分たちがどうして働かない連中の面倒を見なくちゃいけないんだ。あいつらは支援の対象から除外しろ」ということになる。 ◆ 「よその家の子供を支援しないで、自分の家の子供の面倒を見てくれ」と言っても、親(高額納税者たち)が扶養を拒否して国外退去したら? → 「貧困外国人の日本移住禁止」とともに、「富裕邦人の国外移住禁止」を望むのですか? しかもそれを、養ってもらいたいと思っている当事者が言うのですか? ◆ 保守層に糾弾されたアウトローが、排外主義によって一気に「体制内存在」を夢見る、しかしその実「反社会的存在」になっただけ・・・・というのは、各国の失業者たちが見せている姿ではないでしょうか。』

# Bonvoyage 『withdrawal さん>移民流入に関しては、確かに労働市場での競合が増えて各人のパイの取り分が小さくなる可能性がありますが、同時にビジネスチャンスが増えた結果としてパイ自体が大きくなるという可能性もあります。トータルな議論をしないとね。』



ひきこもりというテーマは、この辺のキナ臭い話を避けて通れないのではないか。