ひきこもりと、アカデミズムの問題設定

帰路、三ノ宮のジュンク堂ダイエー店に立ち寄る。社会学政治学・法律・経済学・政策論・といった、僕がまったく馴染んでこなかったジャンルの本を眺めながら、僕がひきこもりに関連して考えていることが、少なくとも問題設定としては既存のアカデミズムに存在しているようだ、という手応えを得る。
と同時に、「ヴィヴィッドな言葉で問題を描き出し、それを社会的に提示する」ことの重要さにも思いを馳せた。才能とチャンスに恵まれた人間が「言葉で仕事をする」というのは大事なことなのではないか。
ところで、「情報の生産」を担う社会的な機関は大学であり、個人としては作家やジャーナリストがいる。「取材と勉強」はものすごく大変だ、という身震い。


思索・勉強・ミーティング・取材。どうも、今まで考えてきたのとは違った風景が見えはじめていて、戸惑っている。