2005-07-12から1日間の記事一覧

気がかり

「無際限な自由」を信奉し、追求・標榜する人々の暴力性が気になり始めている。 いわば、「勝利万歳!」ならぬ、「自由万歳!」というような。 自分に敵対する者はすべてイコール「自由の敵」にしてしまえる、というのでは・・・。

切り口

阪神大震災時、私は震源地の直近で被災したが、家族に犠牲者はなく、家は修繕してそのまま住み続けた。他地域の方から見れば私は「被災者」の一人だが、阪神間の人間同士では、私の当事者性は非常に低い。 → 「自分の肺で呼吸ができる」ような異常な《自由》…

「かかと」

ある論争について三脇氏から伺った。(私の理解した範囲での言及なので、以下の要約責任はあくまで私にある。) ある臨床例において、「かかと」への注意集中が起きることについて。個人レベルだけで考えれば、それを「性愛的」に解釈することになる(ラカン…

議論

こちらへの私の書き込み。 # ueyamakzk 『id:hizzzさんがご説明くださった通りです、id:svnseedsさん>「有名人の方々」「自戒」。▼内田氏の「おじさん的思考」は、「存在するのとは別の仕方で」と対極の、「存在への居直り」のような気が。「多様性」が「成…

「ストレス論」をメタにする必要

総力戦(国全体が参加)における各人の消耗は、社会に場を得ている。しかし非総力戦(戦闘要員のみの戦い)においては、戦った人間の消耗や傷は社会のほかの構成員と共有できない。(三脇氏の授業「ストレスの科学」配布資料より、大意) ストレスについて、…

性愛の非対称性

別の日に、ある女性との会話で出た話題だが、男性が性的受容(セックス)に与える意味と、女性のそれとは、違っているのではないか。男性にとってのそれは「破格の受容体験」であるが、女性にとってのそれは、他の生活体験と並列できる程度の意味しかないの…

性愛

「セクシャルな興味をお互いに持たない男女関係」が、最も心地よいのではないか、と思うときがある。お互いに恋愛・性愛的な興味を向ければ、受容のグレードは上がるが、拒絶と傷つけのグレードも上がる。男女ではあっても、お互いに「人間」として好意を向…

傷つく支援者

支援関係者のある方から伺ったのだが、「傷つかない支援者からは、相談者は離れてゆく」。固定的で硬直した役割意識に自分を埋没させることのできる支援者は傷つかないが、支援関係そのものが無内容になる。自分を開いた試行錯誤を試みる支援者は、柔軟な関…

「お互いにメタに語る」

医師やカウンセラーが、「治療する」という役割に自己を固定してしまえば、相談に訪れた側は「患者」という立場に自分の役割を固定せざるを得なくなり、この固定構造自体がきわめてストレスフルになる。治す側が自分のポジションをメタに語り、患者側も自分…

「巻き込まれてもいいと思えるトラブル」を選ぶ

「アルバイト経験のある人は分かると思うが、トラブルのない仕事はない*1。ということは、《仕事を選ぶ》とは、《どのトラブルを選ぶか》ということだ。仕事を選ぶときは、やり甲斐などの肯定面より、《どのトラブルにだったら巻き込まれてもいいと思えるか…

仁愛大学

11日、福井県武生市の仁愛大学に、授業内講演などでお邪魔した。三脇康生氏のお招きだったのだが*1、「ストレス」に関する三脇氏の考察や、学生さんたちとの交流に非常に救われた。簡単にメモし、今後につなげたい。 これを引き金としつつ、今の自分にとっ…