「ストレス論」をメタにする必要

総力戦(国全体が参加)における各人の消耗は、社会に場を得ている。しかし非総力戦(戦闘要員のみの戦い)においては、戦った人間の消耗や傷は社会のほかの構成員と共有できない。(三脇氏の授業「ストレスの科学」配布資料より、大意)
ストレスについて、ベタな医学知識――血圧上昇、睡眠時無呼吸症候群など――とともに、「ストレス」そのものについての言説を豊饒化する必要がある。「ストレス」という言葉が、思考停止をもたらすマジック・ワードになってしまっている。「ストレスがあるんだよね」「大変だねー」。対処も場当たり的で、方法論的深化の試みが見られない。その状況そのものが「ストレスフル」である。(三脇氏の授業内発言大意)
今回授業に参加して、「ひきこもり」は、「病気」圏との関連において考えるのではなく、「ストレス」というテーマ設定において考えるべきではないか、と思い当たる。時間を生きることそのものに強烈なストレスがあるのだが、これはいったい何か。もちろん、個人レベルと社会レベルがある。
【学生さんの感想文にあったが、「ストレス」と同様のマジック・ワードとして、「反抗期」がある。「反抗期だから仕方ないね」。ほとんど何も説明していない。】