2004-11-17から1日間の記事一覧

課題共有に向けての模索 ―― 努力継続のために必要なもの

「生死のかかった問題への、アクセス可能な手続き」を見失ったときに、絶望的な気持ちになる。 意欲がなくなる。 つねに、「アクセス可能な手続き」を模索し、創造しなおす必要がある。 ≪手続き≫を、そしてそこから生まれる「課題」を、つねに本質的・効果的…

「立ち尽くす」

具体的に提出された「リアルな手続き」は、しかしこの「ひきこもり」という社会問題の「最終解決」には至らない。 そういう意味でなら、「問いの前に立ち尽くし、言葉を失う」という経験を、真摯さの指標として採用してもいいのではないか。 「様々なファク…

「当事者かどうか」ではなく

私は親御さんたちから、「当事者のリアル」の代弁(翻訳)者になってくれ、という役割をまず期待された。 最近では、保健師など、専門職のかたからのご依頼も頂く。 現場の情報格差をなくすために、それは重要な仕事で、今後も続けたいと思うが、私の口にす…

むしろ≪リアルな手続き≫の創造

「謎として可視化された弱者」の問題に取り組むのは、その謎が生まれてきた背景を変えるためだと思う(環境を変えるだけではなく、当事者へのアプローチの仕方も含めて)。 だとすれば、「リアルに創造」されるべきなのは、「謎」(それは弱者としてすでに存…

「努力のベクトル」について再考 ―― 誰にとってのリアル?

斎藤環氏は上記『中央公論』掲載文章の末尾で、「わからなさの維持」についてこう述べている。 啓蒙的段階を過ぎ、私が引き続き「専門家」を自称し続けるならば、今後はひきこもりの「わからなさ」についてより多く語るべきなのかもしれない。 「専門家」と…

我ながら圧縮度が高すぎてよくわからんので、もう一度。

「必要なステップ」としての≪謎≫化 不可視の弱者(他者)は謎にはなり得ない(存在に気付かれていないのだから当たり前)。 尊重も施策も起動しない。 事件や報道をきっかけに、大量に存在するらしき「不可視の他者」がイメージされるが、既存社会は、この≪…

昨日のエントリー分全体から考えたことを少しだけスケッチ

「不可視かつ透明」 ←→ 「可視かつ不透明」 自立して経済生活を送れる人の内面は、謎ではあっても放置される(非難されない)し、放置されていい(謎的な相手の自由の尊重)。 しかし引きこもり当事者の「主体の謎」は、謎に留まることを許されず、「お前ら…

 ≪リアルな手続きの創造≫という共通課題 【2】

さて、昨日のエントリーの続きです。 全体で1つの投稿なので、まだお読みでない方は昨日の【1】を先にどうぞ。 その前に 今日扱っている「内面探求 ←→ 社会施策」という話は、1回きりで終わらせることなどとてもできない、重要で難しい問題だと思います。…