「立ち尽くす」

具体的に提出された「リアルな手続き」は、しかしこの「ひきこもり」という社会問題の「最終解決」には至らない。
そういう意味でなら、「問いの前に立ち尽くし、言葉を失う」という経験を、真摯さの指標として採用してもいいのではないか。

 「様々なファクターを具体的に知り、言葉を失っていくほど本当にその問題に真剣に取り組んでいるのだ」*1



つまり、ここでは「汲み尽くせない他者」は、「ひきこもりという社会問題」、あるいはそれを生み出した≪社会≫であり*2、「謎としての弱者」は、≪社会への取り組み≫を準備する、「予期せざる根拠なき出会い」の契機になる。*3


などと書くと大袈裟すぎるんでしょうか。







*1:こちらでの id:shfboo さんの発言。

*2:「当事者は悪くないが社会が悪い」という単純な責任転嫁をしたいわけではない。 「当事者 ←→ 社会」の両極的な非難合戦は何も生まない。 当事者を含んだ「社会という場」を問題にしたいということ。

*3:樋口明彦氏の「事後的フィクションとしての就労意欲」を思い出す。