和樹と環のひきこもり社会論(47)

(47)【決められたポジション】 上山和樹

 斎藤さんは、「精神科医として20年以上、考察・検討してきた」とのこと。ひきこもった人は、就労経験のなさによって見下され、自己卑下することが多いので、この表現にはこだわらざるを得ません。これは、「仕事をした奴だけにプライドを維持する権利がある」ということでしょうか。(爆笑問題NHK特番でおっしゃった、「胸を張って脛をかじれ」というオリジナル格言も、あやしく見えてきます。)
 私は、「ひきこもりの経験者」として公的な活動を始めたのは7年あまり前ですが、不登校に苦しみ始めたのは25年以上前です。ここで私のキャリア計算は、どうすれば良いと思われますか? 私が最もよく受けた質問の一つが、「何年ぐらいひきこもっていたんですか」というものでした。これは、ひきこもっていた期間が長ければ長いほど、私の“価値”が高いということです。しかしそれは、仕事の実績で評価されるのとは違う。一般の皆さんとは、評価の軸がまったく別なのです。
 私はここに、ひきこもりの支援者たちの欺瞞が集約されているように思います。「ひきこもっていてもいいんだよ」と言いながら、最初から支援者よりも一段下に見ている。
 たとえばこんなことがありました。あるイベントのパネラーとして、不登校支援に実績のある大学教授とご一緒したのですが、その方は親御さん向けの講演で、「いつまで引きこもっていてもいいじゃないですか、認めてあげてください!」と連呼していた。ところが舞台裏の雑談で、私にこう言うのです。「イベントに出る不登校経験者は、みんな20歳ぐらいだよ。君は、いつまでこんなことやってるの。早く就職しなくちゃ」。そこで逆に私のほうから、「そういえば、当事者発言をする人は風俗嬢みたいなものだって言われたことがあります」と言ったら、にっこり笑って、「ああ、賞味期限ね」。
 この大学教授のことを、他人事みたいに批判できる支援関係者はいるのでしょうか。