悩む人間だけを変化させようとする人たち

ある採用試験で、これまでの努力をプレゼンしたが、むしろマイナス評価となった。
「活動家」というレッテルを貼られたらしい。
単なる優等生では排除されるし*1、問題意識を持っても排除される。 その上で凌がなければ。

政治をこそサボってはいけない。 「やってもいいのかな」ではなくて。

いま蔓延している逸脱は、努力方針そのものと関わる*2。 違う方針を主張するとは、政治そのもの。
「お前らの意見を通してしまったら、こっちの生活が成り立たない」*3
問題の実態より、プライドと生活が優先される 「既得権者にはどういう都合があるか」に合わせなければいけない。合わせているうちに、「問題に取り組んでいる」というアリバイだけになってしまう。そういうものに限って予算がつく*4

ついた予算の額が、正当性の度合いになってしまう。

生活費を稼いでいれば、有害な業務でも「仕事をした」と見なされる。
問題提起は、支持者以外にとってはシゴトではない。

「働かなければ」ではなく、問題の立て方を変える事業が要る。

このレベルでは、「働かなくていい」とは言えない。
泣き寝入りすれば、破綻しかない。



*1:20歳前後の新卒採用しかない

*2:本人も間違った思いつめばかり。自意識に悩むことが勤勉さだと勘違いしている。

*3:「今の仕事に意味がなくなるし、予算が降りなくなる」

*4:既得権者のアリバイ作りに貢献できるから。彼らは問題を解決したいのではない。 「問題に取り組んで功績を挙げた」というアリバイが最優先。 悩む本人がこのアリバイに加担する。 自分の欲望が、いろんな人の自意識を守ろうとする防衛機制であることに気づかない。