現実のしかめ面

堀江貴文氏緊急記者会見 主催:自由報道協会(togetter)

堀江氏の発言より:

  • 国民もICレコーダーを持ち歩くことが重要
  • 100回くらい連続して言わなければならない
  • 金も地位もない段階では立派なことなんかできない

偏ったマスコミ報道も含め(参照)、「善意に任せれば、既得権益者もいろいろ考えてくれるはず」があり得ない想定であることを痛感。 これはミクロな関係性でも同じ。 「放っておけば地位や権益のある人」は、それをわざわざ検証しない。
制度分析や分裂分析の根幹に、青臭いヒューマニズムの欺瞞がないか。
こうした状況を織り込んだ分析と制度設計が要る*1



前田元検事の実刑確定へ 解明の場元部長ら公判にasahi.com

司法は条文を解釈・適用することはあっても、司法それ自体の実態を問い直す仕事はしない、というか誰もそういうことをする権限を持っていない*2。 三権分立とは別に、《集団の問題》をどう提起し、モチーフとして社会に根付かせればよいか。



悪い奴らは来なかった(レジデント初期研修用資料)

責任を負うと、ちょっとしたイレギュラーも怖くなるし、保守的であることが最善に思えてくる。
多くの組織では、変革を嫌う人こそが決定権者になる*3
改革派に見える人は、自分の何が硬直しているかに気づかない。



被害者が問う事故調査クローズアップ現代

「責任追及」と「真相究明」が原理的に矛盾する、というジレンマ。
フェアな責任追及のためには事情をすべて明らかにしなければならないが、責任追及が前提にあるなら、誰も口を割らないし、物証はどんどん隠蔽される。ここにも、制度分析への反証がある。言説による反論というより、「実際のところ、そんな理想論を掲げても事態は回らない」。



*1:さもなくば「趣味」で終わる。

*2:やろうとしても、試みた人が排除されて終わり。

*3:「銀行で出世するのは、いちばん目立たない奴」という某氏の証言を思い出す。