学問がさわれない沈黙

差別・いじめ・脅し・排除と戦うには、問題それ自体と戦うだけでなく、
それに取り組む人たち自身による差別・いじめ・脅し・排除と戦わねばならない。
「まさかあの人が」。 沈黙の共謀*1は、支援や調査、自助グループにもある。


「これだけ出会っているのに、それでも引きこもるつもりか」


似た体験をしても、仲間になろうとした時に希望する方向性は各人で違っている。
「“当事者”どうしは仲良くできる」は神話にすぎない。
関わりをもつことそれ自体を主題化しなければならない。



*1:性的虐待では、「加害者の強いる沈黙」「被害者の守る沈黙」「社会が強いる沈黙」の3つが、互いに補強しあう(参照)。 こうした事情は、性的虐待に限ったことではない。 集団内の政治にかんしては、「加害/被害」を簡単に切り分けては、分析が進まない。 自分も加担していた関係構造について、言葉にしなければ。(そこにあった規範は、批判しようとすれば自分からも血が流れる。)