ジャンルを創ることと、そのジャンルで成果を出すことは違う。

    • 物理学と、各理論。
    • 野球と、個人成績。
    • 任侠世界と、組作り。

ジャンルがなければ「仕事をした」ことにならないし、共同体づくりもできない。


ひきこもり問題の場合、何をすれば仕事になるのか分からない状態で、「共同体を作らねばならない」という課題だけがある。共同体をつくるために何をすれば仕事をしたことになるのか、それを考え直すことがまずは必要な仕事だろうに*1


ジャンル形成をしないままに、自分たちの間違った思い込みの反復から抜け出せずにいる。つながりを創るとは、共同体ができるとはそもそも何なのか、それを問い直さざるを得ないことを無視して、旧態依然たる*2つながりの成功を誇示し、それを実現するよう迫っている。 「恋人」とか「仲間」とか「働いた」とか。


何をすれば仕事をしたことになるか分からない状態で、なんで「シゴトした」と誇示できるのか。
お前は嘘のアリバイで不当なカネと地位を得ただけではないか*3


意識のこじれと社会参加のできなさについてやらなければいけないことは、個人/集団/全体社会のレベルでそれぞれ何か。いきなり「共同体をつくろう」ではなく、そもそも共同体をつくるとは何であり得るか。
愛するとか親しいとかで何を求めているか。
今後の個人/関係/歴史の各条件で、「そんなこと」は実現できるか。


現実逃避と現実逃避が組み合わさる関係づくりもある*4



再帰性にともなう意識のこじれに内側から分析と自己治癒を行なう。

作業スタイルを考案し、自分で元気になってゆくしかない。
そしてこれは一人ではできない。



*1:それを考え直すことが仕事と認められない時には、この再考察の作業はパージの対象になる。

*2:再帰的問い直しを禁止したままの

*3:この問いは、まさに引きこもる人にも向けられている。

*4:「他人に最もうまく現実逃避させた者」は尊敬されるかもしれない。 「○○学」と銘打たれた理論が、システマティックな現実逃避でないかどうか。