能力偽装

togetter紀藤正樹&落合洋司 両弁護士が語る「前田恒彦的なるものの罠」」より:

紀藤正樹 僕は前田的堕落は、一見仕事がテキパキできて有能だが、実際は真実に迫ることの出来ない、ダメな法律家のタイプの問題だと思います。

こんなタイプ昔からいたし今もいます。弁護士にもいますし、最終判断する裁判官にも多いと思います。本当は真実の探求は、事実→評価ですが、評価→事実(証拠を探す)ということを選択すれば、記録を見る手間が大幅に短縮できますので一見テキパキ仕事ができる人に見えます。

僕は、10年以上、修習生や新人弁護士の教育をしてきましたが、評価して証拠を探すタイプの人は、往々にして、記憶力や時間の省力化の人が多いと思います。もちろん結果は出来の悪い人もいますが、中には書面がバンバンかけて有能に見える人がいます。

落合洋司 確かに、東京地裁の、優秀そうに見える裁判官には、前田的な人がいるな。先にストーリーを作ってしまう。こういうストーリーの事件と決めつけて見る。

紀藤正樹 こういった人格は、最終判断する裁判官には特に多い気がします。直感的に筋を読み、そして都合がいいように証拠を捜し、そのほかの証拠はもう読まないタイプです。

落合洋司 大切なことですが、検察庁では、なかなか事件が落とせない奴、と、にらまれそうです。それではいけないのですが。

紀藤正樹 証拠を読み込まないんですから、時間を短縮できるうえ脳の記憶容量も減らせる、一石二鳥です。ですから僕は、こういう人は本当は優秀でなく、落合さんが言う真面目とも違うと思います。かえって事実探求を怠ることで、はったりで優秀さを見せようとするエゴの強い人間だと思います。

法律家は謙虚さが大事です。仕事をテキパキこなしつつも、証拠を精査する努力を怠らず、脳の記憶容量が大きい、もっと優秀な人は、世の中にたくさんいるという気持ちが大切です。特に法律家の資質として重要なことです。

落合洋司 前田検事は、エゴが強いタイプだったな。ああいうタイプが、エースだ何だともてはやされる組織は、どこか病んでいる。

紀藤正樹 僕はこういう人を、弁護士や裁判官で多数見てきました。裁判では、裁判官に証拠を読んでもらう努力など、時には悔しい思いをしてきました。そういう人が検事に、そして特捜部にいて、さらには証拠の偽装にまで手を染めたということだろうと思います。

こういう「能力偽装」している人は、世の中たくさん本当はいるんだと思います。僕の周りのジャーナリストにもたくさんいて、正直困り者の人が何人もいます。

落合洋司 たしかに、前田もどきは、社会の至る所にいる気がします。人の心の中でも、前田的なものが頭をもたげる危険は常にある。誰もが、内にある前田的なものと、常に闘い続ける必要がありそうだ。





仕事のやりかた(ルーチン)が最初から決まっていて、それ以外にやりようなどないと思い込む。
ひきこもり周辺でも、専門性が高いとされる方法論*1で発言権を確保する人たちは、自分のディシプリンそのものによって起こる問題に徹底的に鈍感だ*2


この togetter は単に「証拠・事実」の話だが、本質的な疑いは、《仕事のやりかた》そのもののレベルにあるはず。 とりわけ引きこもり問題のように、「何をすれば仕事をしたことになるか」がよく分からない領域では、「そういう考え方をしていて、本当にこの問題に取り組んだことになるのか?(むしろその発想は、状況を悪化させているのでは?)」という問いが、つねに必要だ。


「社会と本人の、どちらを否定すべきか」ではない。 両方を同時に検証する作業こそが根付くべき。――結論ではなく、プロセスが要る。



*1:医学・心理学・社会学など、メタ的権威を確保したがる学問だけではない。 福祉士や保健師・ジャーナリスト(ライター)等も含め、「私はプロだから」の自負が、必要な再検証をスポイルする。 そして何より、「私は○○当事者だから」というだけで、検証なき権威性と実績が確保されると勘違いする人がいる。――ここでは、集団的な自己検証の作業をめぐり、意思決定の手続きが問われている。

*2:多くの在野の支援者は、ご自分の人生論を専門性の代わりにし、再検証を拒絶する。