ひきこもりや「○○障碍」の周辺事情
- (1)役割理論
- (2)内側から取り組まれた、主体化そのものについての臨床プロセス
- (3)正当化の方針
この3つが内在的にリンクしている。
(1)と(3)をリンクさせて頭をひねる人は運動家にも医師にも学者にもたくさんいるが、
それが同時に(2)を含まねばならないことが気付かれていない。
彼らは自分を正当化する指針を手放さない。 だから、
正しさを確保するために臨床着手がなくなり、主体化のあり方や
関係実態*1を放置して、正当性の確保に居直る
正当化のしかた = 「努力を再生産する指針」 = 「つながりの作法」 は、
- 「学説だから許される」のではない。 「正当性を学問的に確保する」というその主観性の方針が、自我硬直の共犯者になっている。
- 「社会を治療する」というのは、政策だけの問題ではない。正当化の方針そのものを変えねばならない。これが本当に難しい*3。 いちど確保した正当化の方針(勝ちパターン)を人はおいそれと手放さないし、そもそもそこに問題があるという認識自体が生じない(認めようとしない)。
まちがった正当化の方針は、学問的であること、つまり「ニュートラルであること」を装う*4。 過剰な政治化に警戒している人たちも、こちらにはコロッと騙される。
*1:つながりの作法
*2:政治党派はそれを何より優先するため、「臨床上の要請を犠牲にして、党派的正当性に居直る」という犯罪的状態にくり返し苦しめられる。 臨床上の要請を口にした瞬間に、「お前は○○の手先か」と言われる。
*3:別の方針をとれば、既存方針からは糾弾される。
*4:エリート面した順応主義者たち。 彼らは、オブジェクト・レベルにあるご自分の関係実態(正当化努力が生きられている実態)は検証させない。 空中戦のような、嘘のアリバイ作りが続いてゆく(しかもご本人たちは、それが有害な正当化努力だと思っていない)。 ⇒ このメンタリティが、まさに引きこもり状態そのもの。 社会的に承認されてしまう分、さらに厄介。