「ひきこもる」というテーマの焼き直し

「安倍政権をどうするか」
「ひきこもる○○さんをどうするか」*1
「人事権に居直る○○氏をどうするか」
「学問言説に自閉する学者をどうするか」

これらのモチーフは重なっている。
言説の党派性、マーケット的影響力、肩書きや資産による既得権。
それぞれの場での独善的支配に、どう介入するか。*2


これは《集合的な》臨床課題であって、個人だけを取り上げてもあまり意味がない。
個人はむしろ、問題事情の励起する場として現れる。*3


ひきこもる人が自分の状況を手放さないように、
医師は権益を、学者は学問を手放さない。




*1:ひきこもる人は、家の中で独裁者のように振る舞っていることがある。

*2:それは当事者概念の動詞化と、内在的なかかわりにある。▼「当事者」という名詞形による物象化された時空間から、「当事化」という動詞形による分析的時空間へ。

*3:個人の問題含みの傾向が居座るのは、その傾向で恩恵を得る人や集団が居るということ。▼おかしな論者は、なぜ繰り返しマスコミに登用されるか。その人に喋らせているのは誰か。