個人の思想は、何よりもその《つながりかた》に表れる。


「当事者発言か、メタ言説か」というのがここ十数年の大きな対立だったようだが*1
どちらの立場も、自分たちが「個人と集団の関係」をすでに設計図として抱え込んでいることを、話題にしない。(その部分にこそ、彼らが生きている思想の実態があるのに。)


「集団のもんだいを話題にしない」(とくに、自分の属している集団のことは話題にしない)というのが、ずっと以前からの知的言説の政治になっている。 そのことが、臨床的に最悪の環境を形づくっている。