多田元(ただ・はじめ)氏

弁護士、1944年生まれ。 NPO法人全国不登校新聞社代表理事NPO法人子どもの虐待防止ネットワークあいち(CAPNA)に設立から参加。 南山大学法科大学院教授。

 不安と無力感に打ちのめされて自己評価を著しく低下させている親は、長田百合子氏の力によって子どもを直してもらいたいと、依存するのである。 長田百合子氏の「親が変われ」という言葉は、「どう変わったらいいのか」がわからない親に対して私を信じて従えという意味である。 依存させ、支配服従の関係を作るためのキーワードである。

ひきこもりの支援という、独特の事情にまつわる指摘。
「社会参加ができない」ので、
「生き方を指導してもらう」という要素がある。

 長田塾裁判は、D君(事件当時15歳)が2001年8月に拉致されてから2002年1月末に救出されて契約を解約するまでの間、長田百合子氏らが暴力によってD君の自由を抑圧、侵害した不法行為の責任を問うものである。
 その不法行為は、おとなの子どもに対する力の濫用(abuse)であるということができる。 アビューズという英語は「虐待」と翻訳されるが、本来は広く「濫用」を意味する。 長田百合子氏側は、裁判で「親の同意」を主張しているが、その「同意」自体が親権の濫用であり、虐待と同じくそれ自体が違法というべきであるから、長田百合子氏らの行為の違法性を否定する理由にはならない。 戸塚ヨットスクール事件でも、戸塚被告側は親の同意を主張したが、名古屋高等裁判所判決は、親の同意は戸塚被告らの犯行の違法性を失わせるものではないと判断している。

被支援者が成人の場合は、どう変わってくるか。

 引きこもり対策法なんてものを履行することを考えて、引きこもりを法的概念として定義してみたらどうなるんだろう、なんてちょっといたずら半分に考えたんですけれども、定義のしようがないと思うんですね。 何時間家から出なければ引きこもりなのかって、どこで線を引くんだろうということになります。

不能状態(disability)の客観的な状態を判断するのに、本人の主観の影響が非常に大きく――というか、病気でもないのに自由が奪われている状態なので――、「できないに違いない」といった憶測でしか、本人の状態を判断できない。
参照1】 【参照2】 【参照3