二クラス・ルーマンの出発点と、「システム理論」

  • ルーマンは、ある外在的批判(「批判の根拠は?」)を展開。――「理性を批判する理性」という自己飲み込み構造は? 「権威主義的パーソナリティ」というが、「反権威主義という権威主義」もある。 批判は、みんなが思うほどたやすいものではない。 ▼「参加者が合意すればそれが批判の根拠になるのか」 「民主的に決定されたことはいいことなのか」など、すべてひっくり返した。
  • 行政学(出自はウェーバー)は、価値命題(「〜すべきである」)を出すのが仕事。 ▼方法二元論:「価値命題(べき)と事実命題(である)を区別せよ」。 社会学マックス・ウェーバー(新カント派):「社会科学は価値命題を出してはいけない」。 これでは、べき論はできない。
    • ルーマン:「いや、行政学は生き残れる(べき論は続けられる)」――べき論の根拠は、《システム合理性》。 要は、いかにして「べき論」を導出し、これを人々に納得させるか。 そこで「システム」という概念が要求される。
    • 価値命題を正当化するために、システムという概念を後から持ってきた。


  • ルーマンの2つの出発点:
    • (1)「批判理論(critical theory)の批判根拠は存在していない」
    • (2)「社会科学は、システム合理性をベースに、いくらでも価値命題を出せる」


  • 1980年前後、「オートポイエティック・ターン」

 ニクラス・ルーマンの社会システム論は、「オートポイエティック・ターン」といって、社会の構成要素が人や行為だと捉えられてきた社会学の従来の思考伝統に対し、社会の構成要素を「コミュニケーション」とする視点の転換を行っています。 ルーマンは、社会システムとはコミュニケーションがコミュニケーションを生み出す自己創出的(オートポイエティック)なシステムとして捉えているわけです。

  • ルーマンは、1977年に書かれた『宗教の機能』までが実りあるもの。 それ以後はすべて無意味。 「わかりきっていることを書いているだけ」。 ▼それまでの著作には、システム理論という枠組みに基づいた findings があった(政治・宗教などについて)。 『情熱としての愛―親密さのコード化』以降、そういう「発見」が少なくなってゆく。
    • 80年代後半、ルーマン来日時、宮台氏が会議内で質問:「あなたの枠組みはこことここが矛盾している。一般的とされる枠組みは日本には当てはまらない」云々。 それへのルーマンの答え:「私の議論は、演繹的な体系ではなく、帰納的でもない。 単にヒューリスティック(heuristic)である(発見ツールにすぎない)」。 ▼会議がシラケる原因となった。 しかし宮台氏にとっては個人的に大きな経験だった。 「ルーマンの議論が貧しくなっていくのに符合している」


  • 1993年10月刊行『サブカルチャー神話解体』最後の章(p.288-290):*1
    • Q:「システム理論とはどういう方法ですか?」
    • A:「敏感な人間をますます敏感にするツール。 多くの社会科学的なフィールドワークは、人を鈍感にしがち。 システム理論はそういうものではない。 システム理論に依拠すれば有効な発見が出てくるということはない。 鈍感な人間が関わってもしょうがない。 敏感な人間が読めば、自分が発見したことの意味や関連が明らかになるし、発見を通じてさらなる発見へと自分の思考を導いていくことができる。 発見ツール」。 ▼あの本では、膨大な情報のリソースに実りがあって、その価値を最大限生かしたのがシステム理論、ということ。
  • ルーマンが出てくる文脈を知っている者としては、「システム理論を内在的に理解すれば頭がよくなる」という理解には賛同できない。






*1:以下は書籍からの引用ではなく、宮台氏の口頭での説明を要約した。