「メタ的考察の拒否」という症候

  • メタ的考察は、差異(オリジナリティ)を主張する知的お遊戯ではなくて、反復強迫的な倫理的衝動に基づく取り組み。
    • 知的ゲームでしかないメタ言説と、「倫理的探求・政治アクション」であるメタ言説の違いは何か。
    • 私は後者にしか興味がない。 「差異の競い合い」には倦み果てている。


  • 私の固執している論点は、既存のどのような専門性と欲望をシンクロさせればいいのか。
    • 「ひきこもり」の専門性をどのように構成すればいいのか、の問いに重なる。 【臨床/理論】


  • ひきこもり支援の結果、支援対象者がファシストになることがあったとして、しかしそれは「ひきこもり」支援の枠内において否定できるだろうか。 否。 「社会参加には成功している」のだから、本人の参加を動機づけた欲望=思想については、云々できない。 ▼しかしひきこもり支援の制度的整備や支援者自身は、民主的な姿勢を求められる。 【ひきこもり支援は、「社会参加のための思想の縮小再生産」であり得る。(被支援者が、支援者の思想をコピーする光景はよく見かける。)】
    • 逆に言えば、思想のコピー(すなわち欲望のコピー)を要求しないひきこもり支援はあり得るか。 これはひょっとすると、「理論家の空理空論」ではないか。


  • 本田由紀の「専門性」論議。 専門性を支える「欲望」の動機づけが最も難しい。
    • 専門性論議を軽視する者は、その者自身がすでに特化された欲望における自己維持に成功している(「欲望の専門性」によってポジションを得ている)。


  • 時代が下っても、消費文化(差異と自己言及のたわむれ)は、繰り返し生きられるのではないだろうか。
    • 少なくとも一定程度は、「サバイバルの技術」として習得が必要。



  • 労働とは、自分の「問題解決能力」の使い道。
    • トラブルをやれるということが、主意主義を持っているということ。