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斎藤環さんと私の往復書簡 「和樹と環のひきこもり社会論」、今号は斎藤さんで、『私は降りることにします』です。
タイトルにあるとおり、次回の私の返信でこの往復書簡は終了です。
ここ数ヶ月のやり取りで、斎藤さんの何が問題なのか、いちばん核心的な部分は示せたと思います。 彼は反論で妙なことをいくつか言っており、検証素材として今後も参照価値があるはずですが、その検証をこそご一緒したかった。 中断されてしまったことが残念でなりません。
ただ今回のやり取りは、すべてが公の場に出ています。 その点で、むしろ安心できる。 本当にやりきれないのは、寄ってたかって自分たちのトラブルを隠蔽しようとする業界関係者*1たちの状況です。 支援団体であれ自助グループであれ、ひきこもりの業界では、現状を体現するような重要なトラブルは、すべて水面下にある。 ひどい暴力で死亡者が出るのでもないかぎり、つまり「派手な違法行為」でもないかぎり、表立っては論じにくい*2。
連載での私は、いきなりメタに論じようとするひきこもり論を拒否し、ひきこもり論のスタイルそのものを提案していました。 「体験を素材化する」という形で、問題への取り組み方を、つまり社会参加のスタイルそのものを提案し、実演していたわけです(もちろん臨床的な趣旨をもって)。 しかし、実はこれこそが最も忌避されるスキャンダラスなふるまいだった。 往復書簡中断という今回の顛末は、ひきこもり業界全体の体質に通じています。
斎藤さんは、私の批判をありきたりなサヨク(反精神医学派)と同一視したがっているようですが*3、そういう理解自体が斎藤さんの防衛的な抑圧です。 むしろ私は、安易な斎藤批判とも戦っていたはず(参照)。 私は、再帰性と中間集団の問題に内在的=当事者的に取り組むために、《体験の素材化》というスタイルをこそ提案した。 臨床の場面でも、目の前の関係性でもメタ的なポジションを守ろうとした斎藤さんは、その検証構図自体を排除したとしか思えません*4。
医師である斎藤さんは、職業上の義務や制限に縛られつつ、逆にそれに守られてもいる。 役職を外しても、プログラムされたメタ言説に閉じこもるかぎり同じです。 斎藤さんは、支援の場に発生する本当にグロテスクな中間集団の問題を、役割固定や言説のプログラムで回避している。 私が「観客席」という言葉でこだわったのは、そういう問題でした(参照)。 そしてそのこだわりは、最後まで臨床的な趣旨に基づいています。
「役割固定=観客席」への居直りは、支援される側まで含めてどの立場にも生じており、シナリオ順応的なナルシシズムの共同体を形作っています。 その問題を指摘し、「体験の素材化」による相互への批評的介入を提案した私は、単に切断操作を受けて内輪ノリの業界体質を補強してしまったのかもしれない*5。 8年前、当事者役割で社会参加のチャンスをいただいた私は、今は《素材化=当事者化》の要求によって、逆に排除を受けるようになっています*6。
・・・・完全に孤立したわけではありません。 これからも、私なりの努力を続けるつもりです*7。
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*1:支援者・取材者・研究者・ひきこもり経験者ほか
*2:「どこの業界でもそんなものだ」と、諦めるべきなんでしょうか。 しかしそれでは、順応臨床の原理的考察が放棄されてしまいます。
*3:そして左翼系の一部からは、そのような理由で私の批判が歓迎されているようですが
*4:再帰性と中間集団の問題を単にメタから検証するのは不可能です。 「中間集団は大事だ」と斎藤さんがおっしゃるのも、単にメタ的なコメントになっている。
*5:ネット上で私への虚偽証言を続けている男性は、その実態へのアクセスポイントになっています。 興味を持ってくださる方は、ぜひ徹底的に周辺事情を取材してみてください。
*6:ひきこもり支援の文脈では、「すべてを受け入れるPC言説」が、排他的なナルシシズムを形成しています。 30歳の成人ですら、幼稚園児のように全面受容される。 そこにあるのは、支援者側と「被支援者」を露骨に切り分ける身分制であり、分析による批評的介入こそが必要だと考える人は、本当に少数派です(とはいえ、ゼロではありません)。
*7:すべてを公表し、素材化して検証しようとする私のもくろみは、考えてみれば、強制力も持たずに自前で法廷を開こうとするようなものです(医師の領域でいえば「症例検討会」)。 倫理的-臨床的な《当事者化》は、じつは紛争処理の性質をもっている。 にもかかわらず、私はあまりにもナイーヴすぎたのだと思います。