2006-11-27 「理論は要らない」という言い分の恣意性 その意見自体が理論として提出されている。 「どこまでの理論なら要るか」の水準決めは恣意的。 これはそのまま、「再帰性は要らない」の議論に重なる。 再帰性も理論も、「要らない」のではなくて、「常に生きられている」。 リアルタイムの終わりなき検証を生きることしかできない。 そのことにおいて、「決着はついている」。