ICC オープニング・シンポジウム: 「ネットワーク社会の文化と創造」
サイト左側のところから、動画でシンポジウム全編を視聴できる。
めっちゃおもしろい。
ひきこもりに関しては、54:40 あたりから、それ以後のやり取りなどがキモ。 キーワードは「再帰性」。 ▼すでにinflorescenciaさんが文字起こししてくださっているが、自分のためにあらためてメモ。
- 内省の過剰が社会性の回避につながる。
- ひきこもっている人は、カルトには絶対行かない。 自分がカルトだから。
- フロイトのモデルでは、自分の問題の所在を意識化できれば症状は軽減する。 しかし今は逆で、問題意識が高まれば高まるほど問題が大きくなってゆく。 勉強して、病理に詳しくなればなるほど治らなくなってゆく。
- 再帰性に苦しむひきこもりは、いわば「過剰な正常さに苦しめられてしまう」状態。 ▼自分に対しても自己愛で曇らされない仮借ない判断をしてしまうので、どんどん自分を追い詰めてしまう。 もっと、自分に対して甘い考え方とか、自己中心的な考え方をすればいいのだが・・・
- 藤幡正樹 (1:51:05〜)
- 「自己言及の一つのスタイルを提示することは、この国では意味があると思っている」
- 斎藤環 (2:09:50〜)
- 藤幡正樹
- 「学校でアングラをしなければならない」
*1:この場合の《症状》は、ラカン派のジャーゴンと考えたほうがいい。 最近の『ビッグイシュー』往復書簡が、この辺りの話をしている(「信仰≒症状」)。 あるいは『家族の痕跡』でも、「価値観≒症状」と語られている(p.171)。 ▼この考えに従えば、症状化を回避しようと徹底的に合理性を追究すれば(再帰性はその極限)、その強迫的探求自体が「症状的な営み」と言える(「合理的なものを探求するという非合理な営み」)。 ▼問われているのは「症状のスタイル」であって、「症状の根絶」ではない。
*2:藤幡氏はここで、「自己言及」を「マリファナ吸引」に喩えている。 魅惑的ではあるが、非常に危険な行為・・・。
*3:ここで斎藤氏は、オブセッション(強迫観念)の解消を「まずいこと」としている。 オブセッションの支えと導きがなければ、アーティストは作品を創造することができない・・・。