• 性の話をしようとした途端に、ウソ・ごまかし・鈍感さ・などが入り込む。 支離滅裂になる。 「性愛なしの人生を肯定する」など、できるわけないのではないか、本当は。 自分だって「断わった」経験あるだろうし、本気で求愛してダメだった経験はそんなに簡単に「でも大丈夫」なんて言えない。
  • 《参加する/降りる》分水嶺での攻防――労働・性愛・食事・人生。 ▼「死にたい=降りたい」は、本当にそう思っているか。 「死にたい」と言うことで、実は周囲を籠絡しようとしているだけだったり。 しかし、本当に「もうこんなことは終えたい」でもある。 ナルシシズムという「意識の苦痛」自体を終わりにしたい、など。
  • 何もしなくても、すでに他者との間で肉体と決断の相互関係を生きている。 迷惑をかけたりしている。 生き延びているのだから他者の生産物を食している。 「すでに参加してしまっている=身体を生きてしまっている」の逃げられなさ。 「始まってしまっているもの」へのルサンチマン。 ▼合理的選択だけが「生きられたもの」ではない。 すでに生きてしまっているものがある。
  • 徹底的に考えようとすることは、自傷行為に似る。 空虚な形式的信仰や、ロボトミー的に「回線を切る」ことで乗り切ろうとするが、いずれにせよ「ごまかし」だ。 ▼ごまかさずにいたらどうにかなると思うことが信仰ではないか。