義務付けられた「滅私奉公」

ある人物*1から、大意次のように言われた。

「『五体不満足 (講談社青い鳥文庫)』の乙武洋匡は最低だ。本を書いて何千万円も儲け、社会的に注目されて、それを自分のためだけに使っている。身体障害者や業界のために還元しないで、自分だけテレビに出て、障害者とは何の関係もない仕事をしている。許しがたい奴だ。――上山さん、あんたも同じじゃないだろうな」

私はその場で、「人の人生を何だと思ってるんだ!」と激怒した。
「お前は《ひきこもり当事者》として、様々なチャンスを得た。だからお前の残りの人生はすべて、引きこもり業界に捧げなければならない」。――嫉妬とやっかみでしかないこういう暴力的見解を、しかし私自身も、自分に課しているところがあった。▼「貢献」の方法は、直接的貢献ばかりではない*2。 そもそも「ひきこもり」というテーマに、私の人生が縛られていいはずもない*3(これは、杉田俊介さんが一般的になさっていたご指摘だ)。 ▼「ひきこもり問題に貢献するために、《当事者・経験者》という属性に固執したまま関わる」のみならず、「ひきこもり」というテーマから独自の課題を析出し、そこに「当事者」であることとは距離を置いて、あるいはその事実とは無関係に、取り組むこと。あるいはそもそも、「ひきこもり」とは何の関係もない業界に飛び込む努力をしてみること。――それは私にとってのみならず、他の当事者・経験者にとっての課題でもあるはずだ(各人が当事者的に巻き込まれているテーマが何であれ)。
ただもちろん、各人の抱えた問題の緊急性や、対人接触でしか事態を改善できない局面というものはあり・・・・。これについては、「向いている人が従事する」、つまり「分業」の問題と言うしかない。私自身も、自分に何ができるかまだよくわかっていない。



*1:この人物には、「一緒に本を書いてテレビに出よう」など、わけのわからない一方的な言動を取られ、それらを断ると、私の発言を勝手に捏造して解釈し、「上山は、文部科学省から直接仕事を請け負っているような詐欺師的発言をして、信用を得ている」などと言いがかりをつけられた。▼私が文部科学省と直接コンタクトをとったことは一度もないし、当ブログや取材・イベントはもちろん、私的な会話ですら、そのようなことを匂わす発言をしたことは一度もない(断じてない)。ある取材の中で、「文部科学省の認可団体を名乗るところから仕事上での協力関係を打診していただき、本当にありがたい話で、ずいぶん悩んだが、今のところそれきりになっている」という話をしたところ、上記のようにねじ曲げられ、「上山和樹という者が、このようなことを公言しているが」と、文部科学省に直接問い合わせられたらしい。▼展開次第では、まさに私の「肩書詐称」を捏造されたことになり、大変な問題だが、現在はとりあえず静観している。(この件で風評を立てている者を見かけたら、ぜひメールにてご一報ください。)

*2:たとえば滝本竜彦氏は、直接「ひきこもりのために」書いてはいない。しかし、「ひきこもり」のイメージを変えることに貢献していないだろうか。もちろん、彼のテーマ性が「ひきこもり」に限定されていいはずはない。

*3:個人的な恩義は、もちろん大切に考えています。