「☆ ARTIST MEETS ARTIST ☆ 宮台真司×K DUB SHINE」*1より

音楽については何も分からないが、「取引」「脱社会」について。(強調は引用者)

宮台氏:
確かに単純な図式に押し込みがちだね。「断固戦う」か「言いなりになるしかない」しかみたいな。
でも重要なのは「取引」でしょ。国際関係でも人間関係でも同じ。単に従うのもダメ。勇ましく噴き上がるのもダメ。
将棋指しみたいに先まで読んだタフな交渉で相手を操縦する。それしかない。さもないと大損する。
日本は第2次大戦でも「交渉の席を蹴って」幾度も失敗してきた。
勇ましい奴は格好よく見えて、実際は宙づりに耐えられないへたれなの。
交渉には宙づりに耐えるタフネスが不可欠なんだよ。
(中略)
ケンカも交渉。やられてやり返さなかったら、へたれ扱いされる。だから当然やり返す。でもそれだと復讐の連鎖になる。
だから落としどころを考えながらケンカする。ケンカ慣れすると、殴るときも五段階ぐらいの本気の度合いがある。
経験が無いとこれらが身に付かない。シラフかキレているかだけになっちゃう。
僕はへたれの二項図式」と呼んでるけど。
(中略)
要はトラブル慣れしていない。トラブル回避を第一とする親が駄目だね。
昔は良かった。エラぶったやつがトラブルになるとオロオロするだけだったりするのを目撃できたし。
今どきの若者はそこが不幸。粋がってる割には、神経質だし、キレちゃうし、仲間がいないとへたれだし。
些細なトラブルでへこんじゃう。
(中略)
夢を抱かない若者はダメだと言うだけなら、夢を抱けなくなった社会システムが隠蔽(いんぺい)されちゃう。
引きこもる若者は臆病だと言うだけなら、かかわっても実りがない社会システムが隠蔽されちゃう。
腐りきってる回復の望みが無い社会に関わろうとしないのはひとつの知恵だよ。
その意味で「脱社会的」であることは、場合によって良いことでもある。
ストレスに耐える力。トラブルをやりすごす力。負けても生きていける力。
これらの力は、社会にベタに内属しない人間にこそ、宿るものだからね。

K DUB SHINE氏:
僕もラップをやり始めた時、精神的な引きこもり状態だった。
一見、外でケンカしてるばかりに見えるみたいだけど。
脱社会的なよりどころを持っていないとだめという気がする。



自分の意志の力によるのではなく受動的に「脱社会的な何か」に取り憑かれ、脱落し、しかし「取引」の力がなく、「へたれの二項図式」でしか生きられない状態に陥っているのが多くの不登校・ひきこもり。
先日は「原理主義」と書いたが、不登校・ひきこもりの当事者心性に関連して「脱社会的な拠り所」などというものを主張できるか。その辺で考えている。
実はこれは、自尊心とも関係するはず。