気のせい?

これまで、私に本当に本質的な心理的支援を与えてくださったかたの多くが、なぜか被差別部落の問題に関わっておられます…。


最近、さんざん「ひきこもりを放置すれば高齢化し、死者が続出する」と言い続けている私ですが、「ひょっとしたら、大丈夫かもしれない」という気持ちにさせてくれるのも、多くがそうした方々です。
「大丈夫」といっても、「彼らが扶養してくれる」という意味ではありません。 「この人たちとなら、仕事を共にしながら、支えあって生きていけるかもしれない」みたいな、私としては信じられないような≪共生≫の感覚が、かすかに芽生えるのです。


じつは、理由がまだよくわかっていません。
なんでだ…。



もちろん、

解放運動の歴史には、さまざまな問題があったこともわずかながら知っております。 しかし、そうした意味でも、学べることが多いような気がするのです。