「この世を受け入れることができない」 「働くぐらいなら死んだほうがマシ」 という、(幼稚に聞こえるがじつは切実で本気な)問題設定。
幻滅と絶望しかなく、生きていこうとすれば「苦痛は必定だ」*1とすれば、どうやって残りの生を受け入れればいいのか。
与えられた(受動的な)生を、動機づけられた(能動的な)生に転換するために必要なものは何か。 → 「才能・環境・記憶・訓練」などの問題だと思うが、ひとまず「訓練」のレベルで、プログラムを考えられないか。
ひきこもりは、能動的選択ではなく、受動的不可避性*2。 → 生きていく時間のなかに、能動的要因をどうやって見出すか。 「わずかばかりの果実」と、「それを得るために必要な労苦」と。