「順応」ではなく、「掘り進む」

脱落者ほど、「ふつう」に憧れがち。 「働くのが当たりまえ」、「恋人がいるのが当たりまえ」、「結婚するのが当たりまえ」、「子供がいるのが当たりまえ」。
「働かなくてもいい」という価値観を獲得しても、お金がなくなれば生きていられない。
「恋愛なんかいらない」と思っていても、いつの間にか傷ついている。


「価値観面での克服」を強弁する人ほど、あやしく見えてしまう。
受験偏差値そのものに意味があるとは思わないが、「東大なんて意味がない」とかの話を強調しすぎる人がどうも・・・・なように。


「○○はいらない」「○○はダメ」のように、自分が評価できないものを否定形で語り続けていても、そこからは何も生まれない。 本当に難しいのは、「評価すべき鉱脈」を見つけ出すことなんだと思う。 そこから何かを掘り出すために努力している人間は、その難しさも痛感しているから、「罵倒しかできない」ことの空しさにも気付く。


端的に言えば、僕はもう「この世界そのものに興味を持てない」の崖っぷちまで来ている。 否定形を重ねていけば、自分と世界とを共に否定して終わってしまう…。