「発言内容」と「人物」の峻別

これは、党派性を避けたいための論点でもあります。
私がある人物の見解に反論すると、すぐに「逆らいやがった」という“人物”レベルの対立の話になる。逆に発言を支持すると、「あいつは○○派か」。つまり、議論のすべてが≪人間関係≫や≪上下関係≫に落とし込まれてしまう。この不自由さを避けるためには、一人一人の発言や仕事について、「あの仕事は良いが今回のは興味が持てない」というふうに、仕事ごとに評価する必要があるし――さらに言えば、自分は興味を持てなくても別の分野では価値があることだって当然あるはず――、発言内容そのものと人物への評価は、分けねばならない。
これは、論争における「フレーミング」と「正当な論争」の峻別にも関わる。


ただし現実的には、ある意見の持ち主は、たいへんな高確率でその意見を変えないので、「人物=意見」、「人物=バカ」みたいな(人物と属性を一致させる)決めつけは、多くの場合コミュニケーション・コスト削減の見地から、持ち出さざるを得ない。
むずかしい。